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ドラゴン・キッド(1976年2月2日 - )は、日本の男性プロレスラー。DRAGON GATE所属。愛知県東海市出身。身長161.8cm、体重70kg。覆面レスラー。本名は非公開であるがデビュー以前の過去の経歴は公開しており、その正体は元FMWレフェリーの中村 伸能(なかむら のぶよし)である。東海市ふるさと大使〔 2014.1.15閲覧〕。「D.キッド」や「DK」と表記されることもある。 == 経歴 == 愛知県立知多東高等学校卒業〔。プロレスラーになるのが夢であったが、身長が低いという理由から果たせず、FMWでレフェリーとしてデビュー。しかしプロレスラーになる夢を捨てきれず、遠縁の新崎人生の紹介で身長制限のないウルティモ・ドラゴンが設立した闘龍門(現在のDRAGON GATE)に応募し、修行のためメキシコに渡った。ウルティモ・ドラゴンから彼の後継者に指名され、龍のマスクを授かり「ドラゴン・キッド」として1997年にデビューを果たした。逆上陸後は身軽さを活かしたスピード感溢れる臨場ファイトやSUWAやダークネス・ドラゴン(現、K-ness.)との抗争で人気を博す。この頃には黄金レスラーと呼ばれることもあったという。 2004年には闘龍門最強決定戦EL NUMERO UNOで優勝を果たした。当初は正規軍、2002年からは新M2K、2004年からはDo FIXERに所属している。DRAGON GATEの花形選手で観客の女性陣からのイエローボイスは他の選手に比べて圧倒的であり看板を背負うものとして人気は高いものの常にユニットの2番手に位置付けられていたことも相まって、結果を出しながらも団体の中心になかなか定着出来ないためか、マグナムTOKYOや土井成樹などから度々叱咤されることもあった。 2007年になるとドイツのウエストサイド・エクストリーム・レスリングのライト級の王座であるwXw世界ライト級王座をエッセンの地にて獲得。これをそのまま持ち帰ったことでこの王座に史上初めての欧州外への流出という事態を起こすも、おおよそ2ヶ月の保持期間を経て千葉でPACに奪われ陥落〔ケージマッチ:wXw世界ライト級王座>詳細情報と写真 〕。 それから間もなくして急性虫垂炎で緊急入院。その間にDo FIXERは解散し、2007年からはTyphoonとして活動していたが、2008年12月28日の福岡国際センターのWORLD-1、REAL HAZARDと敗者ユニット解散サバイバル6人タッグ3WAYマッチで敗北したためTyphoonは解散した。その後、KAMIKAZEの一員として活動。 CIMAたちの勧誘を受けて2010年1月にWARRIORS並びにベテラン軍に加入。その後、土井成樹率いる土井軍と結託し、Blood WARRIORSに加入するも、望月成晃に対抗するCIMAの「シフトチェンジ」についていけず、Blood WARRIORSから追放される〔 2014.1.15閲覧〕。 JUNCTION THREEへ加入直後に行われた2011年6月の博多スターレーン2連戦の2日目・19日に斎藤了、堀口元気組の持つオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座にPACとのタッグ(通称:PK-1)で挑戦。試合はキッドが堀口に勝利し王座戴冠。 2012年5月6日愛知大会、リコシェからオープン・ザ・ブレイブゲート王座を奪取し、その後スペル・シーサー、リコシェ、政宗、Eita、しゃちほこBOY、ジミー・カゲトラ、Mr.キューキュー・豊中ドルフィン、HUB、Kzyを相手に計9度防衛した〔週刊プロレスEXTRA vol.9「ドラゴンゲート大百科」2013年11月5日、ベースボール・マガジン社〕〔DRAGONGATE公式サイト>データベース>オープン・ザ・ブレイブゲート 2014.1.15閲覧〕。 2013年5月5日の愛知大会で吉野正人に敗れて王座を失ったが、8月にはK-ness.・望月成晃とのタッグでトライアングルゲートを奪取。さらにK-ness.とのタッグでツインゲートも奪取し2冠王となった。しかし膝の故障が悪化し欠場、王座も返上となった。11月の復帰戦は暫定王者のT-hawk、Eita組とのツインゲート王座決定戦であったが敗北し、王座奪還はならなかった〔〔DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・トライアングルゲート 2014.5.13閲覧〕〔DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・ツインゲート 2014.5.13閲覧〕。 2014年5月の山梨大会では大仁田厚・田中将斗と元FMWタッグを組み、鷹木信悟・吉野正人・戸澤陽との6人タッグマッチを戦った〔result2014 鷹木信悟デビュー10周年記念大会“風林火山其ノ参" 2014.5.11 アイメッセ山梨 観衆:2,000人(超満員札止め) 〕。その後、望月成晃とBxBハルクとDia.HEARTSを結成。年末の福岡大会でトライアングルゲート王者となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドラゴン・キッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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