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ドラベッラの暗号(Dorabella Cipher)とはイギリスの作曲家エドワード・エルガーがドーラ・ペニーという娘に送った暗号の手紙。1897年7月14日付の別の手紙に同封されていたこの暗号を彼女はついに解くことができなかったといわれている。ドラベッラ(ドーラの愛称)の暗号はその後も繰り返し解読が試みられてきたが、21世紀にいたっても明快な解法は得られていない〔。 この暗号は、3行にわたるアルファベットのEのような形をした87字からなっている。文字を24の記号に分類するならば、それぞれの記号は8つの方向のいずれかを向いた1つか2つ、あるいは3つの半円が連なってできている(方向があいまいな文字もいくつかある)。3行目の5番目の文字には後ろに小さな点が一つあるようにみえる。 == 背景 == ドーラ・ペニーは、ウルバーハンプトンで牧師をしていたアルフレッド・ペニーの娘である。ドーラの母は彼女を産んで6日後の1874年2月に亡くなっている。父のアルフレッドはその後メラネシアに宣教師として赴き、長い間そこで布教につとめた。1895年にドーラの父は再婚するが、そのドーラの継母となる女性が、キャロライン・アリス・エルガーの友人だった。1897年7月、エドワード・エルガーとアリス・エルガーはペニー家からウルバーハンプトンの牧師館へ招かれ、数日のあいだこの地に滞在している。 このときのエドワード・エルガーは音楽教師であり、作曲家として成功する前であり、ドーラ・ペニーは40歳のエルガーより20歳近くも年下だった。エルガーとペニーはお互いを気に入り、二人は終生の友となった。エルガーは1899年の『エニグマ変奏曲』第10変奏を「ドラベッラ」と名づけ、ドーラ・ペニーに捧げている。 グレイト・マルヴァーンに戻った妻のアリスは1897年7月14日にペニー一家へ感謝の手紙を書いている。エルガーはそれにこの謎めいた文字を書いた紙片を差し込んだのである。彼はその裏に「ミス・ペニー」と鉛筆書きをしている。しかしこの紙片は40年もの間、引き出しにしまわれたままだった。この手紙が広く知られるようになったのは、1937年にマスーアン出版からドーラが回想録を出し、そこにエルガーの暗号の写真を載せてからである。その後オリジナルの手紙は失われてしまった。ドーラはその手紙を読むことがついにできなかったと語っていて、それが暗号化されたメッセージだということは当然だと考えていた。 ケヴィン・ジョーンズはこの背景についてこう述べている。
実際、エルガーは暗号に関心を持っていたと言われている。エルガー生誕地博物館には彼が暗号の創作を試みたノートが展示されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドラベッラの暗号」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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