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ドラマツルギー (dramaturgy) とはシンボリック相互作用論から生じた、日常生活における社会的相互作用を取り扱う微視的社会学の説明の中で一般的に使用される社会学的観察法である。この用語はアーヴィング・ゴッフマンによって、演劇の場から社会学へと初めて適用された。 == 概要 == この観察法は1959年の自著である『日常生活における自己呈示』 (''"The Presentation of Self in Everyday Life"'') の中で関連した専門用語とアイデアの大部分を発展させたものである。 後にゴッフマンがその影響〔Mitchell, J. N. (1978). ''Social Exchange, Dramaturgy and Ethnomethodology: Toward a Paradigmatic Synthesis.'' New York: Elsevier.〕を認めたケネス・バーク (Kenneth Burke ) は、早くも1945年にはシェイクスピアからヒントを得てドラマ的方法 (dramatism ) という概念を提出していた。 ドラマツルギーの社会学において、人の行動は、時間・場所およびオーディエンス〔"Performance"と"Audience"については、それぞれ「演技」・「観客」の訳語もあるが、前掲文献の「あとがき」(312 - 313頁)での石黒毅の方針(例えば「パフォーマンス」について、「自然主義的視角からは、道具的側面と表出的側面をもつとされ両成素は分析的に分離されない」ことにより邦訳できないという)に準拠して特に和訳せず、「パフォーマンス」・「オーディエンス」とした。〕に依存しているとされる。言い換えれば、ゴッフマンにとって自己とは、自分が誰であるかの感覚である。そしてそれは演じられている場面の瞬間から現れるドラマチックな効果なのである〔George Ritzer (2007) ''Contemporary Sociological Theory and Its Classical Roots: The Basics.'' New York, New York. McGraw-Hill.〕 。 文化的な価値やノルマおよび期待に基づいて人間が自身と別のものを演じる方法を定義する上で、ゴッフマンはこれを演劇的な喩えとしてまとめている。 パフォーマンスは支離滅裂になる可能性もあるけれども(演者はその様なことに気付いてはいるが)、その多くは成功している。演者の目標は慎重に導かれたパフォーマンス を通じてオーディエンスから受け容れられることである。もしうまくいけば、オーディエンスは演者の見て欲しい姿を見ることになるだろう。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドラマツルギー (社会学)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dramaturgy (sociology) 」があります。 スポンサード リンク
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