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ドリス・ミラー
ドリス・ミラー (Doris "Dorie" Miller, 1919年10月12日 - 1943年11月24日) は、アメリカ海軍の軍人。アフリカ系アメリカ人の炊事兵で、1941年12月7日の真珠湾攻撃の英雄的行動で有名である。アフリカ系アメリカ人として初めて海軍十字章を受章した。海軍十字章は当時アメリカ海軍において名誉勲章、海軍殊勲章に次ぐ3番目に高位の勲章であった(現在海軍十字章は海軍殊勲章より高位の勲章である)。
==生い立ちおよび経歴==
ミラーは1919年10月12日にテキサス州ウェーコでコネリー・ミラーおよびヘンリエッタの間に生まれた。彼は4人兄弟の3番目で、愛情に包まれた家庭の中で成長した。彼は兄弟とともに遊ぶのを楽しみとし、思慮深い子供であった。彼は外で遊ぶのと同じく、家庭では料理や洗濯の手伝いを行った。ミラーはA・J・ムーア高校に進学し、成績良好な生徒であるとともに、フットボールチームのクォーターバックであった。友人たちはミラーをその体格(身長5フィート9インチ、体重200ポンド以上)から「レイジング・ブル」と呼んだ。 彼は1939年9月に海軍に入隊するまで父親の農場で働いた。バージニア州ノーフォークの海軍訓練基地での訓練後、ミラーは給兵艦パイロ (''USS Pyro, AE-1'') に配属され、その後1940年1月2日に戦艦ウェストバージニア (''USS West Virginia, BB-48'') に転属となった。ウェストバージニアで彼は艦のボクシング・チャンピオンとなった。同年7月、戦艦ネバダ (''USS Nevada, BB-36'') に一時転属となり、副砲の操作を学ぶ。1941年8月3日にウェストバージニアに再び配属となった。 1941年12月7日の真珠湾攻撃時、ミラーは06:00に起床した。総員配置が告げられたとき彼は洗濯物の回収を行っていた。その後、日本軍の襲来の際、死亡した水兵の代わりに彼は機銃座に座り、勇敢に日本軍機と戦った。その功績により海軍十字章が贈られた。その後リスカム・ベイ(護衛空母)に3等コックとして乗船し、ガルヴァニック作戦に参加。タラワの戦い後の1943年11月24日、南太平洋ギルバート諸島に於いて日本海軍の伊号第一七五潜水艦の攻撃をうけ、同艦の沈没時に戦死。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドリス・ミラー」の詳細全文を読む
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