翻訳と辞書
Words near each other
・ ドリスピ
・ ドリス・ウィッシュマン
・ ドリス・カーンズ・グッドウィン
・ ドリス・ジェトゥー
・ ドリス・デイ
・ ドリス・デューク
・ ドリス・ハンフリー
・ ドリス・ハート
・ ドリス・ベラック
・ ドリス・ミラー
ドリス・レッシング
・ ドリス・ロイタード
・ ドリス・ロイトハルト
・ ドリス・ロバーツ
・ ドリス・ヴァン・ノッテン
・ ドリス人
・ ドリス式
・ ドリズラー
・ ドリズラージャケット
・ ドリゼラ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ドリス・レッシング : ウィキペディア日本語版
ドリス・レッシング


ドリス・メイ・レッシング(Doris May Lessing、1919年10月22日 - 2013年11月17日)はイギリス人作家。2007年にノーベル文学賞を受賞した。
== 経歴 ==

===生い立ち===
1919年ペルシャ(現イラン)のケルマーンシャーで、イングランド人の父アルフレッドと母エミリーの娘として生まれ、ドリス・メイと名付けられる。父アルフレッド・テイラーは、第1次世界大戦に従軍中に片足を失い、入院中にロイヤルフリー病院で担当した看護師エミリー・マックヴェイと出会って、結婚する。アルフレッドはその後、職を求めてペルシャに移住し、ペルシア帝国銀行に勤めた。ドリスが3歳の時にテヘランに移り、5歳の時にイギリスへ帰国、その半年後の1925年に、南ローデシア(現ジンバブエ)に1000エーカーの土地を購入して、移住しトウモロコシの栽培を始めたが、生活は楽ではなかった。
ドリスは幼い頃から本に親しみ、ドリスのために母はイギリスから多くの本を取り寄せてくれた。ソールズベリー(現ハラレカトリック系の女学校であるドミニカ女子高等学校に入学するが、14歳で中途退学、以後独学を続けた。15歳で家も離れると、ヨハネスブルグやソールズベリー近くで、看護婦やメイドとして働き始めた。この時、雇い主からもらった政治や社会学の本を読み始め、一旦農場に戻り、習作を書き始めた。19歳で電話交換手に転職すると、すぐにイギリスの現地官吏フランク・ウィスドムと結婚、2人の子供をもうけたが1943年に離婚し、子供とも別れる。亡命ドイツ人達のマルクス主義運動に参加し、1945年にドイツ人移民ゴットフリート・レッシングと再婚し一男をもうけるが、1949年に離婚した。現在の「レッシング」という姓はこの夫のものである。この間に、地方誌に詩や短編を発表する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドリス・レッシング」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.