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ドルフ・カミリ(Adolph Louis Camilli、1907年4月23日 - 1997年10月22日)はアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の野球選手。ポジションは一塁手。左投げ左打ち。1941年本塁打と打点の二冠を獲得、同年のナショナルリーグ最優秀選手にも選出されるなど、1930~1940年代のメジャーリーグベースボールで活躍した。 == 来歴・人物 == プロ入り後8年間マイナーで暮らし、1933年にシカゴ・カブスからメジャーに出場したが、目だった活躍はなく翌年シーズン中にフィリーズに移籍する。1934年と1935年の2年続けてリーグ最多の三振を記録するなど振回すバッターだったが、1936年以後は四球を選ぶようになり、同年初めて打率3割、102打点を挙げる活躍を見せた。 1938年シーズンの開幕直前にエディ・モーガンとのトレードでブルックリン・ドジャースに移籍する。1941年に34本塁打と120打点を記録してリーグ二冠を獲得、ドジャーズを久々のリーグ優勝に導く活躍をしたのは34歳の時だったが、同年のワールドシリーズでは相手ヤンキースに18打数3安打、6三振と押さえ込まれた。カミリはドジャーズで1943年までプレーしたが、ドジャーズ在籍時に『100打点・100四球・100三振』を3度記録している。 1943年シーズン中にニューヨーク・ジャイアンツにトレードに出されるとカミリはジャイアンツでのプレーを拒否し、翌1944年シーズンはパシフィック・コーストリーグの監督として過ごした。1945年にボストン・レッドソックスで63試合に出場し、これを最後にメジャーから引退。いくつかのマイナーリーグの監督をし、その後はニューヨーク・ヤンキースやエンゼルスのスカウトとして働いた。1984年にドジャーズの球団殿堂入り選手となり、1997年にカリフォルニア州で90歳で亡くなった。 なお息子のダグ・カミリも1960年代に捕手としてメジャーリーグに出場している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドルフ・カミリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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