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ドン・フジイ(1970年7月6日 - )は、日本の現プロレスラー。DRAGON GATE所属。北の湖部屋所属の元大相撲力士であり、力の海(りきのうみ)の四股名で、最高位は三段目51枚目。プロレスラー時代のリングネームはドン・フジイだが中点を省いてドンフジイと記載されることも多い。二枚目レスラーが多いDRAGON GATEにおいて「おっさん」臭いキャラクターで人気を集め、通称フジイさん。「D・フジイ」と表記されることもある。身長175cm、体重100kg。大阪府箕面市出身。 == 来歴 == 中学卒業後北の湖部屋に入門し1986年7月場所初土俵、1995年9月場所を最後に引退。本人の言によると「10年やってダメなら辞めようと思っていた」とのこと。入門した同期に幕内・北桜がいる。 力士廃業後、天龍源一郎率いるWARでアルバイトとして営業業務を勤める(このときの経験は、現在チケットの営業として活かされている)が、闘龍門の募集を知り応募、合格しメキシコに渡る。現地で大島伸彦(現:CIMA)・諏訪高広(現:SUWA)とルード(悪役)集団C-MAXを結成(のちに多留嘉一(現:TARU)が合流)。1997年5月11日デビュー。当時のリングネームは「スモー・フジ」。1999年に凱旋帰国を果たした。 喧嘩ファイトから、他人の物を盗む・演歌キャラを演じる(あまり歌はうまくない)などコミカル路線まで幅広くこなせる。C-MAX時代は抗争の口火を切る役目を果たしていた。 ちなみに過去に盗んだものは、斎藤了から「自転車」、堀口元気から「サーフボード」(未遂)、ミラノコレクションA.T.から「透明犬ミケーレ」、YOSSINOから「ヴェネツィア」、BATAやんから「黄金のマイク」、セカンド土井から「バット」を盗んでいる。自転車を盗み和解した後は"自転車兄弟"というユニット結成、ヴェベツィアを盗んだ(誘拐)時は"大きなゴリラの着ぐるみ"を着て気を引こうとし、マイクを盗み和解した後は"カラオケマシーン1号"となり、バットを盗み和解した後は土井と谷崎と"アイパーズ"を結成している。 元力士のため、闘龍門系レスラーとしては珍しい中肉中背の体格である。周りには二枚目でスラッとした体型の選手が大半を占める中、「羨ましくないですか?」との新聞社の質問に「俺の目標はマイティ井上さんのようなあんこ型で強いレスラー」と返している。 また年が変わる毎にリングネームを変えていた。「スモー・フジ」、「スモー“ダンディ”フジ」、「ビッグ・フジ」、そして現在は「ドン・フジイ」。ドン荒川をモチーフにしたドン・フジイに改名した当時、周囲にPRIDEで暴れていた「狂乱の格闘王」ドン・フライに間違われたという。実際CIMAもドン・フライが元ネタだと思っていたため、改名を宣言した時にフジイが公表した掛け軸には「ドンフジイ」と書かれていたが「藤井さん、点はいらないんですか?」とツッコんだため結局ドン・フジイになった。その後に改名はなく、現在もドン・フジイのままである。 2006年8月、WARのベルトであったIJタッグ選手権の王者決定リーグに神田裕之とのタッグで参加するが1回戦で敗れる。しかしマグナムTOKYOの負傷により急遽望月成晃のパートナーに指名され、見事王者となった。さらに2006年11月23日に団体最高峰のベルトであるオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦し、見事第6代王者となるなど2006年は大躍進の年であるといえる。 ドリーム・ゲートのベルトを失ってからは永遠のライバルでもある、黒田哲広や“ハリウッド”ストーカー市川との戦いや、ザ・ターボマンのパロディの『ターボやん』に扮する等、コミカル路線である。しかし8月19日のZepp札幌の試合後にCIMAの持つドリームゲートに再び挑戦を表明した。しかし土井成樹が同じくドリームゲートへの挑戦表明したため、9.8大阪府立第2競技場にでフジイと土井の2人による挑戦者決定戦が行われることが決定した。しかし、敗れてしまい、挑戦はならなかった。 しかし、吉野が持っているドリームゲートに挑戦するなど前線で常に活躍していたが、望月に対BWへ向けて共闘を呼びかけられたが、若手育成を理由に誘いを断り、前線から一度離れる事となった。 2014年2月6日タッグマッチで勝利したリョーツ清水にフジイは琴香と組んでいるリョーツはいつまでたっても上に行けないと言い、リョーツ清水と一緒にフジイ部屋を結成した。(フジイ部屋を結成した後もオレたちベテラン軍の選手とタッグマッチで組んでいるため、オレたちベテラン軍を脱退した訳ではない。)その後リョーツがDia.HEARTSに加入し自然的に解散となる。 11月6日、オレたちベテラン軍が解散・コントラ・送還マッチに敗れユニット無所属に。電車マニアと言うことをジミーズに公表されてジミーズトレインに乗り込むと宣言し、12月3日の後楽園大会でジミーズとともにジミーズトレインに同行した。だが、その日の土井ダーツでマッドブランキー入りが決定し、図らずもヒールターンすることになった。12月16日の後楽園大会よりマッドブランキーの一員として活動。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドン・フジイ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Don Fujii 」があります。 スポンサード リンク
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