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ドン・オーバードーファー : ウィキペディア日本語版
ドン・オーバードーファー
ドナルド(ドン)・オーバードーファー(Donald Oberdorfer、1931年 - 2015年 7月23日)は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)付属米韓研究所理事長。
== 略歴・人物 ==
ジョージア州アトランタ出身。1948年ドルイドヒル高校(:en:Druid_Hills_High_School)、1952年プリンストン大学をそれぞれ卒業。朝鮮戦争の休戦後、1953年から54年まで陸軍少尉として在韓米軍に勤務する。
帰国後の1955年よりノースカロライナの地方紙『シャーロット・オブザーバー(:en:The_Charlotte_Observer)』の記者となり、1958年から同紙ワシントン担当。その後『サタデー・イブニング・ポスト:en:The_Saturday_Evening_Post』編集(1961-68年)、ナイト・リダー:en:Knight_Ridder)グループ記者(ベトナム戦争担当、1965-68年)を経て、1969年より『ワシントン・ポスト』に入社する。『ワシントン・ポスト』ではワシントン担当を務めた後、1972年から東京特派員として北東アジア情勢を取材。1975年より同紙の外交専門記者に就任し、1993年の退社まで勤めた。
外交ジャーナリストとしての活躍は高く評価されており、外交問題に関する優れた報道に与えられるEdwin M. Hood賞(米ナショナル・プレス・クラブ主催)を1981年、1988年に、同じく外交問題に関する優れた報道に与えられるEdmand Weintal賞(ジョージタウン大学主催)を1982年と1993年に受賞し、プリンストン大学客員教授も務めた。日本では中曽根康弘「不沈空母」発言報道でも知られる。1998年、『二つのコリア』で第10回アジア・太平洋賞を受賞。
現在はジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)所属のジャーナリスト(Journalist in Residence)として、調査研究のかたわら、学生の指導にあたっている。また冷戦後期の米ソ関係を扱った著書''The Turn''執筆に用いられた自らのインタビュー記録などをプリンストン大学に寄贈しており、この記録が同大学シーリー・G・マッド図書館で閲覧ができる。
== 著書 ==

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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