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ドナルド・ウィリアム・ジマー(Donald William "Don" Zimmer , 1931年1月17日 - 2014年6月4日)は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身のプロ野球選手(内野手)・プロ野球監督。 ニックネームは"Popeye"(ポパイ)、または"Gerbil"(ジャービル=スナネズミ)。 == 経歴 == ジマーはからマイナーリーグでプレーを開始した。その容姿の類似性から彼には有名な漫画の主人公ポパイの愛称が付けられた。有望な内野手として高い評価を受けていたが、に投球が頭部を直撃し、頭蓋骨骨折の重傷。2週間以上無意識の状態が続き、この時に金属プレートで頭蓋骨を固定する手術を受けた。 その後はMLBのブルックリン・ドジャース、シカゴ・カブスなどでプレー。主に二塁手、三塁手、遊撃手を務め、にはMLBオールスターゲームにも選出された。 に東映フライヤーズに入団し、来日。しかし、打率.182、9本塁打に終わり、同年限りで退団し、帰国。 帰国後は、サンディエゴ・パドレス(1972年 - 1973年)、ボストン・レッドソックス(1976年 - 1980年)、テキサス・レンジャーズ(1981年 - 1982年)、シカゴ・カブス(1988年 - 1991年)で監督を歴任。にはカブスを地区優勝に導き、ナショナルリーグ最優秀監督に選ばれた。の日米野球ではメジャーリーグ選抜の監督を務めた。 からにかけてはニューヨーク・ヤンキースのベンチコーチとして監督のジョー・トーリを支え、この時期に6度のアメリカンリーグ制覇と4度のワールドシリーズ制覇(世界一)を経験する。 10月5日、レンジャーズとのアメリカンリーグ・ディビジョンシリーズ第1戦で、チャック・ノブロックが放ったファウルの打球が顔面を直撃し顎と耳に裂傷を負うが、7日の第2戦ではNYのロゴが入った軍用ヘルメットをかぶってベンチ入りし、周囲の笑いを誘った。その後、MLBのスタジアムではダッグアウトの前に防護ネットが設置されるようになる。 10月11日、レッドソックスとのアメリカンリーグ・チャンピオンシップシリーズ第3戦で両チームの乱闘が起こった際、レッドソックスの投手ペドロ・マルティネスの元へ突進したが、マルティネスに投げ飛ばされ軽い怪我を負った(当時72歳)。翌日にはジマー自身が涙を浮かべながら謝罪会見を行った。 その後、タンパベイ・レイズのシニアアドバイザーを務めた。 2014年4月に心臓手術を受け、フロリダのリハビリセンターで療養していたが、同年6月4日に死去〔ドン・ジマー氏が死去 元米大リーグ監督 日本経済新聞 2014年6月5日〕。。タンパベイ・レイズはジマーの功績を讃え、2015年3月24日にジマーがレイズで着用していた背番号「66」を永久欠番とすることを発表した〔レイズ、ドン・ジマー氏の「66」が永久欠番に 日刊スポーツ 2015年3月25日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドン・ジマー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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