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ドン・ニューカムことドナルド・ニューカム(Donald Newcombe, 1926年6月14日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州マディソン出身の元メジャーリーグベースボール選手(投手、外野手)。右投げ左打ち。サイ・ヤング賞の初代受賞者としても知られている。 ニックネームは“Newk(ニューク)”で、中日ドラゴンズでの登録名でもあった。 == 来歴・人物 == からまでニグロリーグ・ニューアーク・イーグルスでプレーした後、にブルックリン・ドジャースと契約。5月20日にメジャーデビューし、メジャー初の黒人投手となった。リーグ最多の5完封を含む17勝8敗、防御率3.17で新人王に輝く。またこの年、ジャッキー・ロビンソン、ロイ・キャンパネラ、ラリー・ドビーと共に黒人選手として初めてMLBオールスターゲームに出場した。は19勝、翌は20勝を挙げる。 1952年から2年間朝鮮戦争に従軍しチームを離れるがに復帰。は20勝5敗を記録し、チームはワールドシリーズを制した。にはリーグ最多の27勝を挙げてナショナルリーグMVPを受賞、そしてこの年から制定されたサイ・ヤング賞の初代受賞者となった。 チームがロサンゼルスに移転したは開幕から0勝6敗、防御率7.86と絶不調で、6月15日にシンシナティ・レッドレッグスにトレードされる。7月29日にはクリーブランド・インディアンスに移籍。しかし、翌1961年のスプリングトレーニングが始まる直前に解雇。 打撃も良く、メジャー10年間の通算成績は878打数238安打で打率.271、15本塁打。メジャーやマイナーで投手以外の守備についたことはないが、代打として106回起用されている。代打成績は打率.227、0本と芳しいものではなかった。1955年5月26日にはホームスチールも決めている。 インディアンス解雇後は、ドジャースとマイナー契約。12年ぶりにドジャース傘下AAA級でプレーした。 、ラリー・ドビーと共に中日ドラゴンズに入団。外野手としての契約であった。81試合に出場、279打数73安打、打率.262、12本塁打、43打点という成績を残した。1試合だけだが投手としての登板もあった。MLB通算149勝はMLB出身のプロ野球選手の最多勝利であった。ただしニューカムは外野手としての入団だったので投手の最多勝利はにヤクルトに入団したフロイド・バニスターの133勝となる。また、に福岡ソフトバンクホークスにブラッド・ペニーが入団するまではMLB最多勝経験者として日本プロ野球で唯一プレーした選手であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドン・ニューカム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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