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ドナルド・エドワード・ベイラー(Donald Edward Baylor , 1949年6月28日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州オースティン出身のプロ野球指導者、元プロ野球選手(一塁手・外野手及び指名打者)。右投右打。 == 経歴 == === 現役時代 === のMLBドラフトでボルチモア・オリオールズに2巡目(全体39位)で指名され、プロ入り。後に移籍するオークランド・アスレチックス、カリフォルニア・エンゼルス、ニューヨーク・ヤンキース、ボストン・レッドソックス、ミネソタ・ツインズで右の強打者として活躍。 9月18日にオリオールズでメジャーデビューを果たすが、当時全盛期のチームにおいて当初出番は少なく、メジャーに定着するのは以後のこととなった。 には25本塁打を打って不動のレギュラーとなるが、その年限りでレジー・ジャクソンとのトレードで、アスレチックスに移籍。アスレチックス在籍も1年のみで、にエンゼルスに移籍。 ここでは水を得た魚のように活躍し、には全162試合に出場して打率.296、本塁打36、打点139(打点王)の活躍でア・リーグMVPに選出される。また、この年にはキャリア唯一のオールスターにも出場。チームも初の地区優勝を果たすが、古巣オリオールズに敗れワールドシリーズ進出はならなかった。シーズン139打点は、現在でもエンゼルスの球団記録である。 には故障のため90試合の出場に終わり、以後のシーズンはほとんど指名打者としての起用となる。また、1979年までは1976年の52盗塁をはじめ240盗塁を記録する俊足であったが、1980年以後は45盗塁と減少。にはヤンキースに移籍し、3年間指名打者として活躍。 そしてに移籍したレッドソックスで160試合に出場して打率こそ.238に終わったが、31本塁打・94打点と活躍し、チームのリーグ優勝に貢献。 自身初のワールドシリーズ出場を果たしたが、ニューヨーク・メッツに敗れる。 翌のシーズン終盤には地区優勝争いを繰り広げていたツインズに移籍。ここでもリーグ優勝を果たしてワールドシリーズに進出。そして、自身唯一のワールドチャンピオンに輝いた。 はアスレチックスに2度目の移籍。この年92試合の出場に終わるが、3年連続違うチームでのワールドシリーズ出場を果たす。 39歳の年齢もあってこの年限りで現役を引退した。 広岡達朗が西武ライオンズの監督を務めていた頃、ベイラーの獲得を熱望していたことがある。前後するが、藤田元司が読売ジャイアンツの監督(2度目)を務めていた頃、キャンプで臨時打撃コーチとして招聘され、背番号42をつけて指導していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドン・ベイラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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