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ドン・ラーセン(Donald James Larsen、1929年8月7日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手である。右投右打。 アメリカ合衆国インディアナ州ミシガンシティ出身。ニューヨーク・ヤンキース時代、1956年のワールドシリーズ第5戦(対ブルックリン・ドジャース)でワールドシリーズ史上初のパーフェクト・ゲームを達成した(現在に至るまでポストシーズン唯一の完全試合であり、ワールドシリーズのノーヒッターとしても唯一)。 ==人物・来歴== にセントルイス・ブラウンズでメジャーデビュー。「夜遊び」が好きでこのためかなかなか好成績はあげられず翌にチームはボルチモアに移転しオリオールズとなったが、この年3勝21敗の成績でア・リーグ最多敗戦を記録。この年のオフ、史上最多の17名が関与したトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍(オリオールズ7人対ヤンキース10人)。ただしこれで行状があらたまったわけではなく、移籍初年度のにはスプリング・トレーニング(日本のプロ野球でいう春季キャンプに相当)で早朝5時に車を電信柱にぶつけている。監督のケーシー・ステンゲルは「電報でも出しに行ったんだろう」と語っていたという。 には自己最多の11勝(7敗)をあげてチームのリーグ優勝に貢献。その年のワールドシリーズはヤンキースとブルックリン・ドジャース(当時はニューヨーク)の「地下鉄シリーズ」となった。ドジャースの本拠地エベッツ・フィールドで開幕し、ドジャースがまず連勝。ヤンキー・スタジアムに移った第3・4戦はヤンキースが連勝し、迎えた第5戦。先発したラーセンはドジャース打線に1本のヒットも四死球も、そして1人のランナーも許さずワールドシリーズ史上初の完全試合を達成した。現時点で唯一の記録である。シリーズは最終戦までもつれたがヤンキースが勝ち、ラーセンはシリーズMVP及びベーブ・ルース賞に選ばれた。 翌も10勝をあげるが、2けた勝利はその2シーズンのみ。ヤンキースにはまで在籍しその後はにカンザスシティ・アスレチックス(そのときの交換相手の一人にロジャー・マリスがいる)、途中にシカゴ・ホワイトソックス、にサンフランシスコ・ジャイアンツ、途中にヒューストン・コルト45's(よりアストロズに名称変更)、にシカゴ・カブスに移籍し1967年限りで現役引退。 7月18日には、ヤンキー・スタジアムで始球式を行っているが、この試合ではデビッド・コーン(ニューヨーク・ヤンキース)がモントリオール・エクスポズを相手に完全試合を達成している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドン・ラーセン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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