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ナジムッディーン・アイユーブ : ウィキペディア日本語版 | ナジムッディーン・アイユーブ ナジムッディーン・アイユーブ(、al-Malik al-Afdal Najm ad-Din Ayyub ibn Shadhi ibn Marwan、? - 1173年8月)は、ザンギー朝のクルド系軍人、政治家〔Lyons, Malcolm Cameron and David Edward Pritchett Jackson, ''Saladin: The Politics of the Holy War'', (Cambridge University Press, 1982), 2.〕。ナジムッディーン・アイユーブの息子の一人サラーフッディーン(サラディン)はエジプトで王朝を創始し、彼が建てたアイユーブ朝は王家の始祖であるナジムッディーン・アイユーブの名前を冠している。 == 出自 == アイユーブはクルド人のHadhabani族の支族であるRevend(Revendi、もしくはRawadiya)族の出身であり〔 Sherefkhan Bedlisi "Sherefname" Translation: Ziya Avci 〕〔 Vladimir Minorsky, Prehistory of Saladin http://rbedrosian.com/Ref/Minorsky/vmpsal1.htm#124.〕〔 The Sharafnam̂a, or, The history of the Kurdish nation, 1597, Translation: Mehrdad Izady 〕、後代の歴史家は伝承に基づいてRevend族をクルドの名家に数えている〔佐藤『イスラームの「英雄」サラディン』、21頁〕。758年頃にRevend族はアルベラ(アルビール)からドゥヴィンに移住した。ロシアの東洋学者であるウラジーミル・ミノルスキーはRevendの語源について、アラビア語の「Rawadiya」が転訛した可能性を指摘し、アイユーブたちがアラブ文化の影響を受けたクルド人だと推測した。さらにミノルスキーは「Rawadiya」とは部族の指導者の名前に由来する語であるとも述べており、Revend族の指導者はアラブ人を祖とする可能性があるとも言える〔。
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