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ナナヨーヒマワリは日本中央競馬会に登録されていた父内国産馬の競走馬である。馬名は冠名の「ナナヨー」と植物の「ヒマワリ」が由来となっている。 == 経歴 == 2003年8月小倉のデビュー。2歳時には芝中距離を使われたが3歳以降はほぼダート路線に専念する形となる。 ダート転向当時は1400mを主体にし2007年6歳春頃よりその距離を1800mへと延長、特筆すべき実績は無いものの、途中500万クラスへの降級となった時期を挟み、着を拾いながら勝ち星を積み重ね2008年7歳にしてオープンクラスへ昇りつめる。 陣営は当初ナナヨーヒマワリの昇級初戦として仁川ステークスを使う予定であったものの除外となり〔2008年1回阪神成績表PDF 〕、その矛先をマーチステークスへと向ける。 中山での出走経験が無いことや、重賞初挑戦などの不安要素から7番人気という低評価であったが、これに反発し後方から最後の直線で一気に脚を伸ばし、重賞勝利を記録。この勝利は馬主及び生産者にとっても重賞初勝利となり、小原父子にとっては約6年ぶりの重賞勝利となった。なお、小原騎手はこの勝利が現役最後の重賞勝利となっている。 重賞ホルダーとなったナナヨーヒマワリはその後もGIII・オープンクラスを転戦したが目立つ戦果は無く2桁着順を繰り返し成績の頭打ち状態が続いたため、2009年シリウスステークス12着を最後に障害へと転向となる。 平地重賞勝ちの実績を買われたナナヨーヒマワリは入障初戦から人気を集め、5戦目に障害勝利を収めるも昇級後は障害入り直後に懸念された飛越の低さ〔2009年11月8日競馬ブック〕がネックとなり平凡な成績に終わり、2011年1月8日付で現役を引退。山口県宇部市の宇部乗馬クラブで乗馬となったが、現在は山口県下関市のホースパーク小月で乗馬として活躍中〔ナナヨーヒマワリが登録抹消 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナナヨーヒマワリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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