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ナバス・デ・トローサの戦い : ウィキペディア日本語版 | ナバス・デ・トロサの戦い[なばすでとろさのたたかい]
ナバス・デ・トロサの戦い(スペイン語:、アラビア語:)は、1212年7月16日にイベリア半島、現アンダルシア州ラ・カロリーナ内のナバス・デ・トローサで、カスティーリャ王をはじめとするカトリック諸国連合軍とムワッヒド朝のカリフ率いるイスラム諸国連合軍の間で行なわれた戦いである。この戦いの意義の大きさから当時の年代記作者たちは単に「あの戦い」(La Batalla)と記すことが多い。 == 戦前のイベリア半島情勢 == 1195年、アラルコスの戦いでカスティーリャ王アルフォンソ8世は、勢いに乗るムワッヒド朝のカリフ・ヤアクーブ・マンスールに敗れ、この戦いでムワッヒド朝はトルヒージョ(現エストレマドゥーラ州)、プラセンシア(同)、タラベーラ・デ・ラ・レイナ(現カスティーリャ=ラ・マンチャ州)、クエンカ(同)などの重要な町を奪った。そのためタホ川流域以南は依然としてイスラム勢力の支配下に置かれることになった。しかも同年、その敗戦につけこんだレオン王アルフォンソ9世から攻撃を受けた。これは退けたものの、このようにカスティーリャ王国は、東隣のアラゴン連合王国とは条約で国境を定めていたが、西隣のレオン王国やポルトガル王国とは国境紛争が繰り返されている状況であった。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Las Navas de Tolosa 」があります。
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