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ナパームデス : ウィキペディア日本語版
ナパーム・デス

ナパーム・デス(Napalm Death)は、イギリス出身のグラインドコアバンド。構成員が脱退加入を繰り返し、結成時の面子は不在となりながらも脈々と活動は続けられており、在籍していた人物はカテドラルカーカスといった音楽隊を結成し名声を得た。グラインドコアの始祖的存在。
== 略歴==
1982年、イギリスのバーミンガムで結成された。グラインド・コアの始祖的存在であり、後発の音楽隊に今なお多大な影響を与えている。また様々な分野に重要な貢献をした音楽家を多数輩出した。しかし、構成員や音楽性の変遷も流動的な音楽隊で、1987年には結成時の人員は皆無となっている。
ニック・バレンがボーカルとして、ディスチャージ(DISCHARGE)、カオスUK(CHAOS U.K.)等の、ハードコアで政治的主張を行うパンクロックに影響されて結成。
結成年に「Punk Is a Rotting Corpse」(DEMO TAPE)を発表。音楽性としてはハードコアアナーコ・パンクの中間で、上述の音楽隊と比べ際立った所のない、平凡な音であった。しかしクラス(CRASS)とライブで数回共に活動したことがきっかけで、後に発表されたクラス自身のレーベルオムニバスに参加することになった(「Bullshit Detector Volume 3 」1984年)。現在も使用されている"NAPALM DEATH"の標章は、この時点ですでにできあがっていた。
音楽性の転機は、イギリスイプスウィッチのクラスト・コア(CRUST CORE)の始祖であるエクストリーム・ノイズ・テラー(EXTREME NOISE TERROR。当時はまだ「TERROR」は付いていない)でドラムスであったミック・ハリスが加入した事が大きい。この時点で、結成時からの人員は既にニックのみになっており、彼がボーカルベースを兼任した。
1985年に、「Hatred Surge」(DEMO TAPE)を発表。これまでの5本のデモとことなり、激しい音楽性に変化する。翌年には7作目となる後のセカンドアルバムと同じ表題である「From Enslavement to Obliteration」(DEMO TAPE)を発表し、1stアルバムと同じ題で、フルアルバム並みの曲数の「Scum」(Demo Tape)の2本を発表した。
イギリスノッティンガムで最速だったプラズミッド(PLASMID)が解散し、更に速度感が増したヘレシー(HERESY)のベース、カルブ(KALVIN PIPPER)が、まだイヤーエイク・レコードを作ったばかりの保有者であったディグ(DIGBY PERSON)にテープを渡した事がきっかけで、後のファーストアルバム「SCUM」(アナログ LP)発売に繋がる事になった。
1987年、これまで立て続けに出した「テープ」ではなく、アナログで且つ単独、そしてアルバムと言う形態で「SCUM]が発表された。このアルバムの音(や曲数)が与えた様々な分野への影響度は大きかった。ここからナパーム・デスの第2期が始まったと言える。ただA面・B面で、ドラムスのミック以外が違うという特殊な形態になった。A面には、85年、86年の2本のDEMO TAPEの面子で収録。原構成員のニック、3本のDEMOに参加したジャスティンが音楽性の不一致により脱退(脱退後、ゴッドフレッシュ(GODFLESH)を結成)、B面は、ミック・ハリスが独自のブラスト・ビートを編出し、曲が加速。リー・ドリアンや、カーカス(CARCASS)のビル・スティアーが加入して録音された。
構成員それぞれの嗜好性が様々で、リーやこの後正式に加わるシェーン・エンバリーが当時好んで聞いていた早く極端な音楽に大きく影響され、また日本のS.O.BGAUZE等にも触発されて、重く、早く極端に演奏時間の短い楽曲、歌詞が全く聞き取れない歌唱法のグラインド・コアと呼ばれる音楽性へ変化した。
ジェームスの後任にシェーン・エンバリーが加入。
1988年のセカンドアルバム「From Enslavement to Obliteration」(アナログ LP)でその音楽は完成された。S.O.Bとのツアーで、1989年に初来日。構成員はリー・ドリアン(Vo)、ビル・スティアー(G)、シェーン・エンバリー(B)、ミック・ハリス(Ds)の4人だった。
その後、彼らの音楽性は徐々に変化し、デスメタル的な要素を取り込み独自の音を形成していった。現在、1987年に加入したシェーンがフロントマンとして活動している。また、彼らの歌詞の内容はハードコア・パンク出身というのもあり、首尾一貫して社会を批判する傾向が強く出た政治的なものが多い。
2009年、LOUD PARKへの参加が決定した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ナパーム・デス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Napalm Death 」があります。



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