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ナビ派[なびは]
ナビ派(ナビは、)は、19世紀末のパリで活動した、前衛的な芸術家の集団。「ナビ」はヘブライ語で預言者を意味する。 == 沿革 == ナビ派の誕生のきっかけとなったのは、1888年、パリのアカデミー・ジュリアンの学生監を務めていた画家ポール・セリュジエが、ブルターニュを訪れた時、ポール・ゴーギャンから指導を受けたことである。ゴーギャンは、若いセリュジエと森の写生に赴いた際、「あの樹はいったい何色に見えるかね。多少赤みがかって見える? よろしい、それなら画面には真赤な色を置きたまえ……。それからその影は? どちらかと言えば青みがかっているね。それでは君のパレットの中の最も美しい青を画面に置きたまえ……。」と助言したという。アカデミーで正確な外界表現を教えられていたセリュジエにとっては、ゴーギャンの説く大胆な色彩の使用は衝撃であった。セリュジエはその日の夜行電車でパリに戻り、アカデミー・ジュリアンの仲間であるピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、モーリス・ドニ、ポール・ランソンにゴーギャンの教えを伝え、共鳴した彼らによってナビ派のグループが形成された〔高階・上 (1975: 186-87)。〕。その後、アカデミー・ジュリアンの外からも、ゴーギャンの友人アリスティド・マイヨール、オランダ出身の、スイス出身のフェリックス・ヴァロットンといった若者がグループに加わった〔高階・上 (1975: 188)。〕。 彼らは、土曜日ごとにランソンの家に集まって芸術を論じたり互いの作品の批評をしたりした。自分たちだけで通用する独特の用語を使ったり、制服やしきたりを考案したりして結束を高めながら、絵画だけでなく、彫刻、工芸、舞台芸術などの広い分野で活躍した。文芸雑誌『ラ・ルヴュ・ブランシュ』のためにポスター、挿絵を制作したり、画商アンブロワーズ・ヴォラールの勧めで豪華本のための挿絵を描いたりした〔高階・上 (1975: 185-86, 189-90)。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナビ派」の詳細全文を読む
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