翻訳と辞書
Words near each other
・ ナフコ不二屋
・ ナフサ
・ ナフサ山地
・ ナフサ語
・ ナフシャ
・ ナフシリン
・ ナフタセン
・ ナフタリ
・ ナフタリ (曖昧さ回避)
・ ナフタリン
ナフタリ・テム
・ ナフタリ・ヘルツ・インベル
・ ナフタリ・ベネット
・ ナフタリー・ベネット
・ ナフタリ族
・ ナフタレン
・ ナフタレン-1,2-ジオキシゲナーゼ
・ ナフタレン-1,8-ジイル-1,3,2,4-ジチアホスフェタン-2,4-ジスルフィド
・ ナフタレン-1-酢酸
・ ナフタレン水嶋


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ナフタリ・テム : ウィキペディア日本語版
ナフタリ・テム

ナフタリ・テム(Naftali Temu、1945年4月20日-2003年3月10日)はケニアの陸上競技選手。1968年メキシコオリンピック男子10000mの金メダリストである。
テムは、1966年のコモンウェルスゲームズの6マイル走で、世界記録保持者のオーストラリアロン・クラークを下しがその名を知られるようになる。
テムは、2年後のメキシコオリンピックに出場。10000m決勝では、エチオピアマモ・ウォルデとともにラスト400mに突入。まずウォルデがリードするが、残り50mのところでテムがウォルデを抜き去り、ついに金メダルを獲得した。4日後、5000mにも出場し、チュニジアモハメド・ガムーディ(Mohammed Gammoudi)とケニアキプチョゲ・ケイノ(Kip Keino)に惜しくも敗れるも銅メダルを獲得している。さらに、マラソンにも出場。このレースでもウォルデらと激しい競争を繰り広げるも、テムは30キロを過ぎると次第に遅れて行き、19位に終わっている。
その後のテムの成績は、下降線をたどる一方で、1970年のコモンウェルスゲームズの10000mは19位。さらに1972年ミュンヘンオリンピックの10000mでは予選落ちという結果に終わっている。
==主な実績==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ナフタリ・テム」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.