|
ナーベレジヌイェ・チェルヌイ(ナベレジヌイエ・チェルヌイ、; , , ヤール・チャル)は、ロシアのタタールスタン共和国にある工業都市で、首都カザンに次ぐ第二の都市。ロシア語名ナーベレジヌイェ・チェルヌイは「河岸の船」、タタール語名ヤール・チャルは「チャルの岸」を意味し、チャル(Çallı)とはブルガール語で「石でできた」という意味となる。ウラル山脈西麓を流れるヴォルガ川の大きな支流カマ川に面して左岸(南岸)に建つ。カザンからは東へ225キロメートル。人口は509,870人(2002年全ロシア国勢調査)、500,309人(1989年ソ連国勢調査)。 == 歴史 == ヤール・チャルの町は1680年のタタール人の記録に登場しているが、1172年にヴォルガ・ブルガールの町として建設されたとされている。今日の考古学調査の結果では、ナーベレジヌイェ・チェルヌイからは14世紀以前の遺跡は見つかっておらず、ヴォルガ・ブルガール時代から町があったかどうかは実証できていない。 ロシア人の記録では1626年に、ヤール・チャルをロシア語風にしたナーベレジヌイェ・チェルヌイの名で初出している。19世紀までは川での漁業と交易を主とする村落にすぎなかった。1847年の人口は1,726人だったとされる。 20世紀初頭に工場が操業し始め、1930年には市の地位を得た。この時点での人口は9,300人だった。1970年代に至るまでさほど大きくなかったナーベレジヌイェ・チェルヌイの町は、1976年にトラック・ディーゼルエンジン・戦車などを生産する巨大工場・カマ自動車工場(KAMAZ)を中心とする世界最大級の自動車工業コンビナートが成立したことにより急成長を遂げた。1989年には人口は一気に50万人を突破している。 1982年には最高会議幹部会議長レオニード・ブレジネフにちなんでブレジネフ(, Brezhnev)と改名したが、1988年には元の名に戻された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナーベレジヌイェ・チェルヌイ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Naberezhnye Chelny 」があります。 スポンサード リンク
|