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ナムソスの戦い : ウィキペディア日本語版
ナムソスの戦い[なむそすのたたかい]

ナムソスの戦い(ナムソスのたたかい)とは、1940年4月から5月初旬にかけて、ノルウェーナムソスで行なわれた戦闘のこと。ナムソスとその周辺ではイギリスフランスポーランドそしてノルウェーの陸海軍とドイツ国防軍の陸海空軍との間で激しい戦いが行われた。この戦いはイギリス・フランス両軍の陸軍部隊とドイツ軍との間で行われた第二次世界大戦中、初の重要な出来事のひとつであった。
==背景==
1939年9月、第二次世界大戦が勃発すると、ノルウェーは再びヨーロッパを飲み込もうとしている戦争から距離を置くことを望み、第一次世界大戦で成功していた中立の立場を取った。そのため、1940年4月、ナチス・ドイツが突然、陸海空軍合同による攻撃を仕掛けるまでは平穏であった。第一次世界大戦中の場合と異なり、主要要員で構成されたノルウェー海軍と要塞砲が存在するのみで、部隊は部分的に動員されている状態であった。ノルウェー軍はフィンランドソビエト連邦の間で行われている冬戦争に関連してノルウェー侵入が行われる可能性に対する予防措置としてノルウェー北部で少数の大隊(アルタ大隊(en)など)を稼動させているだけであった。ノルウェー政府は1930年代後半に軍の現代化を慌しく行ったが、依然発展途上な状態であった。1920年代後半から1930年代初期における平和主義的方針のために行われた幅広い軍事予算縮小の影響は明らかであった。このため、1940年の時点で、ノルウェー軍はヨーロッパにおける最弱の軍隊のひとつであった。
ナチス・ドイツにはノルウェーを攻撃するいくつかの理由が存在しており、第一にスウェーデン北部のキルナにある鉱山から産出する鉄鉱石ははドイツの軍事産業が必要としていた。バルト海北部のボスニア湾には夏の間だけ船舶で鉄鉱石を運び出すことができるルレオという主要な港が存在した。しかし、その港は冬の間は凍結するため、毎年数ヶ月の間、スウェーデンは遥かノルウェー北部のナルヴィクに存在する不凍港へ鉄道へ輸送することによって鉄鉱石の大部分を船で出荷していた。通常の時には鉄鉱石の80%がナルヴィク経由で輸出されていた。冬の間の唯一の選択肢はストックホルムの南で氷に閉ざされることのないバルト海の港、オクレースンド(Oxelosund)への長い鉄道輸送であった。しかし、イギリスの情報ではオクレースンドからの輸出ではドイツが必要とした量のわずか5分の1しか輸送できないことを示唆していた。ナルヴィク経由で輸出されるスウェーデン鉄の存在無しではドイツの軍事産業は戦車、銃、潜水艦及びその他の武器を生産することができなかった。
1940年春、イギリス海軍本部は夏季におけるドイツの海上輸送を阻むため、キャサリン計画(en)においてイギリス艦隊をバルト海へ派遣する可能性を調査していた。しかし、ナルヴィクからの海上ルートが開いたままであれば、この作戦は効果が無くなる可能性があったが、ドイツ軍のノルウェー攻撃がバルト海におけるイギリスの計画を先んじることとなった。
イギリス海軍はドイツの鉱石輸送船が通過するノルウェー近海に機雷を敷設する予定になっていたため、ドイツは危惧していた。そして、イギリスの計画は海軍大臣ウィンストン・チャーチルの肝いりにより、かなり進んでいた。しかし、最初にノルウェーを奪取したのはドイツであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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