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フリチョフ・ナンセン
フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Wedel-Jarlsberg Nansen 発音例 、1861年10月10日 - 1930年5月13日)は、スウェーデン統治下のノルウェーの科学者、探検家、国際的な政治家。1893年から1896までナンセンのフラム号遠征を行った。 == 北極探検 == ナンセンはクリスチャニア(現在のオスロ)で弁護士の子として生まれた。クリスチャニア大学に進学し、動物学を専攻。1882年にはグリーンランド水域への最初の航海を行ない、1888年から翌年にかけてグリーンランド氷原のスキーによる横断に成功した。1891年にイギリスの王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を受賞した。1893年には北極点遠征を行った。流氷に密閉されて漂流しながら極点に達するという計画で、特別に設計されたフラム号(後にロアール・アムンセンによって使用された、喫水線下が半円形に整形された船)に8年分の燃料と6年分の食糧を積み、12人の乗組員とともに同年6月24日にクリスチャニアを出港した。同年9月にフラム号は予定通り流氷群につかまり漂流を始めたが、ナンセンの考えたほど北極点に近づかなかった。フラム号がこのまま北極点に到達しないことは明白で、1895年3月にナンセンは士官のハイアラム・ヨハンセンを伴いスキーで極点を目指すこととした。しかし旅は難航し、4月8日に北緯86度14分の地点に到達したところで残りの食糧が僅かとなり、極点到達を断念した。彼らはゼムリャフランツァヨシファで越冬することになり、セイウチやホッキョクグマの肉を食べながら1896年の夏までその場に滞在し、雪解けとともに南下を開始、運良くイギリスの探検隊に出会い帰国した。ナンセンと同時期に北極探検を気球で行ったスウェーデンのサロモン・アウグスト・アンドレーは、ナンセン帰国の翌1897年に遭難死している。アンドレーら3人の隊員の死因は、ホッキョクグマの肉を生で食した事により旋毛虫症に感染した結果、衰弱死したと発見された1930年に推測されているが、ナンセンらの場合、加熱調理していたために無事だった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フリチョフ・ナンセン」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fridtjof Nansen 」があります。
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