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ナーシルッディーン・ヌスラト・シャー : ウィキペディア日本語版
ナーシルッディーン・ヌスラト・シャー

ナーシルッディーン・ヌスラト・シャー(Nasir-ud-Din Nusrat Shah, 生年不詳 - 1398年)は、北インドデリー・スルターン朝トゥグルク朝の対立君主(在位:1394年 - 1398年)。第4 代君主のギヤースッディーン・トゥグルク2世の弟にあたる。
==生涯==
1394年トゥグルク朝の君主アラー・ウッディーン・シカンダル・シャーが死亡し、弟のナーシルッディーン・マフムード・シャーが継承した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.148〕。
だが、これに反対する貴族らはマフムード・シャーの甥ナーシルッディーン・ヌスラト・シャー]]を擁立し、宮廷は二分されるところとなった〔。マフムード・シャーはデリーを、ヌスラト・シャーはフィールーザーバードをそれぞれ支配し、争いを繰り広げた〔。
1398年、ヌスラト・シャーはティムールのインド侵略のあった年に死亡している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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