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ナースィル・ファラジュ : ウィキペディア日本語版 | ナースィル・ファラジュ
ナースィル・ファラジュ(、1390年 - 1412年)は、エジプトを支配したブルジー・マムルーク朝の第2代・第4代スルタン(在位:1399年 - 1405年、1405年 - 1412年)。 初代スルタン・ザーヒル・バルクークの子。1399年の父の死で即位する。しかし10歳という若年の上、マムルーク朝では世襲制ではなく実力本位制の君主継承制度が採られていたために配下の多くが反発し、内紛が起こった。しかも幼主が即位したのを見て1399年からティムールによる西アジア遠征(7年戦役)が開始される。マムルーク朝は保護していたジャライル朝の亡命君主・アフマドを支援してティムールに対抗した。1401年にティムールが大軍を率いてシリアに侵攻してくると、ファラジュは親征して対抗したが、カイロなどでの反乱を恐れて撤退。その結果、シリアは蹂躙され、ダマスカスが略奪・破壊される。 1405年には一時的に廃されたが、すぐに復位した。しかし後半期の治世では国内での反乱、飢饉による経済悪化、疫病の流行などが相次いだ。結局、1412年に配下のムアイヤド・シャイフらによって暗殺された。23歳であった。 == 関連文献 ==
*「エジプト・マムルーク朝」(近藤出版社)
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