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ナーナー・サーヒブ : ウィキペディア日本語版
ナーナー・サーヒブ

ナーナー・サーヒブ (Nana Sahib, 1824年5月19日 - 没年不明)は、インドマラーター王国の宰相だったバージー・ラーオ2世の養子〔ガードナー『イギリス東インド会社』、p.357〕。 本名はドゥーンドゥー・パント
==生涯==
1824年5月19日、ナーナー・サーヒブはビトゥールで生まれた〔Wolpert, Stanley. ''A New History of India'' (3rd ed., 1989), pp. 226–28. Oxford University Press.〕。
1827年マラーター王国の最期の宰相だったバージー・ラーオ2世の養子となった。彼は第三次マラーター戦争で敗北したのち、ビトゥールに追放されていた。
ナーナー・サーヒブの若いころはあまりよくわかっていないが、この間にターンティヤー・トーペーアズィームッラー・ハーンなどの優れた部下を集めた。また、ラクシュミー・バーイーともこのころに知り合ったとされる。
1851年1月、養父バージー・ラーオ2世が死亡した。だが、彼に支給されていた年額80万ルピーの年金は「失権の原理」により打ち切られ、その相続は否定された。このことから彼はイギリスに恨みを持つようになった。
1857年5月、インド大反乱が勃発すると、6月5日にナーナー・サーヒブも蜂起し、翌日に1500の兵でカーンプルを占拠した。
だが、同年7月にカーンプルが奪還され、その後の再奪還にも失敗したのち、11月を境にその消息を絶った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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