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ニキータ・ゲンナジェヴィチ・カツァラポフ(, , 1991年7月10日 - )は、ロシア出身の男性フィギュアスケート(アイスダンス)選手。パートナーはヴィクトリヤ・シニツィナ、エレーナ・イリニフなど。 2014年ソチオリンピック銅メダリスト、団体戦金メダリスト。2010年世界ジュニアフィギュアスケート選手権優勝。 == 経歴 == 1991年モスクワ生まれ。4才でスケートを始める。子供のアイスショーに参加する傍ら、母に技術レッスンを受ける。やがてショーよりもスポーツとしてのスケートを選択。選手育成拠点のある市内ソコリニキに通い、マリナ・ドゥルジクらの指導を受ける。2002-03年シーズンのロシアジュニア選手権の男子シングルノービスクラスで3位となる〔。 13才で母の助言によりアイスダンスをはじめ〔、アメリカでアレクサンドル・ズーリンの指導のもとエレーナ・イリニフとカップルを組むが、ズーリンのロシア帰国に際しカツァラポフはモスクワに戻り、アメリカに残ったイリニフとのカップルを解消する。アンゲリカ・カブィシェワと組むが1シーズン半で解散〔、ロシアに戻ったイリニフとのカップルを2008年に再結成、2008-09年シーズンのロシアジュニア選手権で4位となる。 国際競技会デビューとなった翌2009-2010シーズン、ジュニアグランプリシリーズ2大会で優勝、ジュニアグランプリファイナルでも2位。世界ジュニア選手権で優勝する。 2010-2011シーズン、ロステレコム杯では銅メダルを獲得。ロシア選手権では3位に入り、ヨーロッパ選手権の代表に選出され、4位入賞を果たした。ロシアのカップルで2番目の成績を収めたため、世界選手権の代表にも選出された。SDは6位と上々の滑り出しだったが、FDでは地元ロシアの観客の大歓声で音楽のスタートが分からないまま演技をスタート。精彩を欠いた演技でSDより順位を1つ落とし7位入賞に留まった。シーズン終了後、アレクサンドル・ズーリンからニコライ・モロゾフへコーチを変更。変更の理由として、十分に練習環境を整えてもらえなかったことを挙げている〔〕。 2011-2012シーズン、NHK杯ではSDで首位に立った。しかし、FDのウォームアップ中にイリニフがフェンスに衝突しひざを負傷。順位を落とし3位で大会を終え、エキシビションは欠場した〔Shibutani and Shibutani capture ice dance gold at NHK Trophy 〕。続くエリック・ボンパール杯では4位。ロシア選手権では前年より順位を1つ上げ2位。ヨーロッパ選手権ではSDで7位と出遅れ最終グループ入りを逃すが、FDでは3位で総合3位まで順位を上げ、初のメダルを獲得した。4位との差はわずか0.03ポイントしかなかった。世界選手権は予選から安定した演技を見せ5位入賞。ロシアのカップルでは最上位の成績だった。 2012-2013シーズン、ロステレコム杯では2位。NHK杯ではSDの後にイリニフが食中毒を起こしてしまうが、FDを滑り2位に入った。グランプリファイナルに初進出し、そこでは6位だった。ヨーロッパ選手権では前年より順位を上げ2位。世界選手権はレベルを取りこぼし9位に終わった。 2013-2014シーズン、4年連続出場のNHK杯では4位。エリック・ボンパール杯では地元のナタリー・ペシャラ / ファビアン・ブルザ組を破り2位。ヨーロッパ選手権のSDでは僅差の2位に付けるも、FDのシンクロナイズドツイズルでイリニフが転倒し2年連続の2位となった。ソチオリンピックの団体戦ではFDに出場し自己ベストを更新。金メダルを獲得した。個人戦ではSD、FD共に大幅に自己ベストを更新し、銅メダルを獲得した。世界選手権ではSDのシンクロナイズドツイズルの2本目を回ることができずノーバリューとなり5位と出遅れる。FDでは1位となり巻き返すも4位に終わった。世界選手権後にはイリニフとのカップルを解散した〔〕〔〕。4月11日にはヴィクトリヤ・シニツィナとのカップルが結成され〔〕、アメリカのミシガン州カントンでマリナ・ズエワの指導を受ける〔〕。 2014-2015シーズン、ロステレコム杯では4位。NHK杯では2度のリフトの落下もあり7位に沈んだ。ロシア選手権では4位。 2015-2016シーズン、スケートアメリカで銀メダルを獲得。ロステレコム杯では銅メダルを獲得した。ロシア選手権はSDで首位に立つも、FDのシンクロナイズドツイズルでミスを犯し、2位に順位を落とした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニキータ・カツァラポフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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