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ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ソコロフ(Nikolay Alexandrovich Sokolov, 1859年3月26日 – 1922年5月27日)はロシアの作曲家。サンクトペテルブルクの豪商ミトロファン・ベリャーエフの音楽サロン「金曜日(仏語で「レ・ヴァンドルディ」)」の一員としてロシア音楽史に名を残す。 ニコライ・リムスキー=コルサコフの高弟の一人で、ソコロフ自身もペテログラード音楽院でディミトリー・ショスタコーヴィチやユーリ・シャポーリンらを輩出した。少年時代のショスタコーヴィチは、寛大で温和なソコロフを恩師として慕い、その没後に、《管弦楽のための主題と変奏》作品3をソコロフ追悼作品として完成させた, 。 こんにち演奏される曲目は、サークル「金曜日」のためにリムスキー=コルサコフとその門弟たちが合作した、弦楽四重奏のためのいくつかの性格的小品があるにすぎないが、ピアノ曲や管絃楽曲として「ロシアの主題による変奏曲」のような作品もいくつか残している。 * 弦楽五重奏曲 作品3(弦楽合奏のためのセレナーデ 作品3) * トルストイの「ドンファン」からの終幕の合唱 作品5 * 女声のための合唱曲集 作品12(1892年出版) * ピアノのための変奏曲 作品25 * ロシア民謡による弦楽四重奏のための変奏曲 * 弦楽四重奏曲ヘ長調 * 弦楽四重奏曲イ長調 * 弦楽四重奏曲ニ短調 * 弦楽三重奏曲ニ短調 作品45 (すべてベリャーエフ社より出版) このほかに、楽理に関する著作も残している。 セルゲイ・ディアギレフは、アナトーリ・リャードフがバレエ音楽《火の鳥》を完成させられないと知るや、新たな候補にソコロフの名を思い浮かべたが、結局ストラヴィンスキーに打診したという、いかにもありがちな話が伝えられている。このエピソードは、スティーヴン・ウォルシュ著のストラヴィンスキー伝にも引用されている(しかし、2002年刊のPimlico版ではこのエピソードはカットされている)。 ==著作== *Sokolov, N. ''LinkImitatsii na cantus firmus; posobie pri izuchenii kontrapunkta strogogo stilia.'' Leningrad: Izd. Gosudarstvennoi konservatorii. 1928. 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ソコロフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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