翻訳と辞書
Words near each other
・ ニコライ・カルダシェフ
・ ニコライ・カルポリ
・ ニコライ・カレートニコフ
・ ニコライ・ガブリロヴィッチ・ラティシェフ
・ ニコライ・キセリョフ
・ ニコライ・キバリチチ
・ ニコライ・キールストルプ
・ ニコライ・ギカロ
・ ニコライ・ギャウロフ
・ ニコライ・ギールス
ニコライ・クイビシェフ
・ ニコライ・クズネツォフ
・ ニコライ・クズネツォフ (スパイ)
・ ニコライ・クリューエフ
・ ニコライ・クリューチコフ
・ ニコライ・クルイロフ
・ ニコライ・クレスチンスキー
・ ニコライ・グサコフ
・ ニコライ・グネージチ
・ ニコライ・グミリョフ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ニコライ・クイビシェフ : ウィキペディア日本語版
ニコライ・クイビシェフ
ニコライ・ウラジーミロヴィチ・クイビシェフ, 1893年12月13日 - 1938年8月1日)は、ソ連軍人。軍団長。ヴァレリヤン・クイビシェフの弟。'', 1893年12月13日 - 1938年8月1日)は、ソ連軍人。軍団長。ヴァレリヤン・クイビシェフの弟。
== 経歴 ==
1914年、アレクサンドル軍事学校を卒業。第一次世界大戦に従軍し、大尉、大隊長まで登りつめた。1917年、連隊委員会議長。
1918年、全連邦共産党(ボリシェヴィキ)に入党。同年6月から最高軍事監察局員。1919年1月から旅団政治委員、同年10月から旅団長。1920年1月、第9狙撃師団長。1921年から軍団長。ロシア内戦中、4個の赤旗勲章を授与された。この後、兄の庇護の下、出世を遂げることとなる。
1922年、高等学術課程を修了。1922年~1923年、クロンシュタットの警備司令兼政治委員を務め、反ソ分子の粛清を指導した。1923年、高等狙撃学校「ヴィストレル」学校長。1925年、トルケスタン戦線司令官、その後、軍団長。1927年~1928年、労農赤軍指揮局長兼モスクワ軍管区司令官補佐官。1928年、シベリア軍管区司令官、1937年、ザカフカーズ軍管区司令官。この間、中央委員会附属党監督委員会委員も務める。1937年、ソ連最高会議代議員に選出。
1938年2月2日、ミハイル・トゥハチェフスキーヴィタリー・プリマコフボリス・フェリドマンの「証言」に基づき逮捕され、反ソ、トロツキスト、軍事ファシストの陰謀への参加、ドイツポーランド日本リトアニアスパイであることを「自白」した。8月1日、死刑を言い渡され銃殺。
1956年、名誉回復。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコライ・クイビシェフ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.