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ニコラウス・クザーヌス : ウィキペディア日本語版 | ニコラウス・クザーヌス ニコラウス・クザーヌス(''Nicolaus Cusanus''、1401年 - 1464年8月11日)は、ドイツの哲学者・神学者・数学者・枢機卿であり、中世の博学者。 == 生涯 == ドイツのモーゼル河畔の港町クースに裕福な船主の家庭に生まれる。幼い頃の記録は不明確であるが、父親に理解されず苦しんだようである。領主の援助を得てオランダに遊学、敬虔主義的な教育を受けたとされる。ハイデルベルク大学で自由学科を学び、翌年にはパドヴァ大学に移り、1423年教会法の博士号を取得。1425年再びドイツに戻ってからはケルン大学にて教会法を講じつつ、同時にハイメリクス・デ・カンポのもとで学び、偽ディオニシウス・アレオパギタ、アルベルトゥス・マグヌス、ライムンドゥス・ルルスらの思想に触れる。この頃から写本発見家としても人文学者に名を知られていく。 その後1430年司祭に叙階され、バーゼル公会議(フィレンツェ公会議)では公会議派の立場で活躍、高名を得るが、後に教皇派に理解を示すようになる。この様な姿勢に彼の柔軟性が垣間見えるが、当時としては誤解を生む行動でもあったようである。東西教会の和解のためにも奔走し、教皇使節としてコンスタンティノープルを訪問。またドイツを教皇代理として巡察し、強い抵抗に苦しめられつつも改革に取り組んだ。1448年に枢機卿、1450年ブリクセン大司教。最後は終生の友人である法王ピウス2世の十字軍構想に従い、病身を押してローマを出立するが、トスカネッリに看取られながら1464年トーディにて死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニコラウス・クザーヌス」の詳細全文を読む
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