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ニコラウス・フォン・ヴュルテンベルク : ウィキペディア日本語版
ニコラウス・フォン・ヴュルテンベルク
ニコラウス・フォン・ヴュルテンベルクNikolaus von Württemberg, 1833年3月1日 カールスルーエ・イン・オーバーシュレージエン - 1903年2月22日 カールスルーエ・イン・オーバーシュレージエン)は、ドイツヴュルテンベルクの王族で、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人。ヴュルテンベルク公(Herzog von Württemberg)。
ヴュルテンベルク公オイゲンとその2番目の妻でホーエンローエ=ランゲンブルク侯カール・ルートヴィヒの娘であるヘレーネの間の息子として、オーバーシュレージエンのカールスルーエ(現在のポーランドオポーレ県ナムィスウォフ郡ポクイ)で生まれた。ブレスラウの中等学校を卒業後、ハノーファーの工業高等専門学校に学び、さらにオーストリア軍に仕官した。1860年に陸軍少佐となり、1864年のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(デンマーク戦争)、1866年の普墺戦争などで戦った。1877年には陸軍少将およびクラカウ駐屯の旅団長に昇進、さらに1882年には陸軍中将およびコモーン駐屯の師団長となった。
1869年に異母兄オイゲンの娘であるヴィルヘルミーネ(1844年 - 1892年)と結婚したが、あいだに子供は生まれなかった。また1855年よりヴュルテンベルク王国貴族院議員の席を与えられたが、1894年にシュトゥットガルトに居を移すまでは議会を欠席し続けた。1888年からは実家のカールスルーエの所領を経営している。
1896年に同母兄のヴィルヘルムが死ぬと、ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世推定相続人となった。1903年にニコラウスが死ぬと、ヴュルテンベルク家のカールスルーエ系は断絶し、王位継承権はアルツハウゼン系に移った。カールスルーエの所領は国王ヴィルヘルム2世が相続し、国王が1921年に死去すると、王家の家督を継いだアルブレヒト公の次男アルブレヒト・オイゲンに受け継がれた。
== 参考文献 ==

* R. Zerelik in: Sönke Lorenz, Dieter Mertens, Volker Press (Hrsg.): ''Das Haus Württemberg. Ein biographisches Lexikon.'' Kohlhammer, Stuttgart 1997, ISBN 3-17-013605-4, S.371



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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