翻訳と辞書
Words near each other
・ ニコラ・カティナ
・ ニコラ・カビッボ
・ ニコラ・カビボ
・ ニコラ・カラバティク
・ ニコラ・カラバティッチ
・ ニコラ・カリニッチ
・ ニコラ・カルノー
・ ニコラ・グラン
・ ニコラ・グリフィス
・ ニコラ・グルエフスキ
ニコラ・グルニツキー
・ ニコラ・グルノン
・ ニコラ・グルビッチ
・ ニコラ・コバチェビッチ
・ ニコラ・コヴァチェフ
・ ニコラ・ゴンベール
・ ニコラ・サッコ
・ ニコラ・サルコジ
・ ニコラ・サンソーネ
・ ニコラ・サーラ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ニコラ・グルニツキー : ウィキペディア日本語版
ニコラ・グルニツキー
ニコラス・グルニツキーNicolas Grunitzky1913年4月5日 - 1969年9月27日)は、トーゴ政治家、第二代大統領(任1963年-1967年)。
== 経歴 ==
ポーランド系ドイツ人の父、トーゴ人の母との間に生まれる。南部エウェ族に基盤を置く。フランス統治下のトーゴで、トーゴ進歩党(PTP)を結成し、シルバヌス・オリンピオらの反フランス的運動とは一線を画した。
1956年、トーゴ自治政府の初代首相に就任した。1958年の選挙ではオリンピオが勝利し、トーゴ独立(1960年4月27日)に際してはオリンピオが大統領に就任した。オリンピオは反対派を迫害し、グルニツキーは亡命を余儀なくされる。
1963年1月13日クーデターでオリンピオが殺害されると、グルニツキーは帰国して大統領に就任した。
しかし、グルニツキー政権は軍の増員を要求するクーデターの立役者エチエンヌ・エヤデマ、アルバート・ジャファロ、ジェイムズ・アシラらの派閥抗争に悩まされ、副大統領アントワーヌ・メアチら北部人と南部のエウェ族の対立も深刻化した。
メアチとグルニツキーの対立は南北の民族対立を象徴するもので、政府は機能せず、1967年1月13日、エヤデマ参謀長のクーデターにより政権は崩壊した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコラ・グルニツキー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.