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ニコラ・ゴンベール
ニコラ・ゴンベール(Nicolas Gombert, 1495年頃〜1560年頃)はルネサンス時代のフランドル楽派の作曲家。ジョスカン・デ・プレとパレストリーナの間の世代では最も有名かつ最も影響力のあった作曲家で、存分に展開される複雑なポリフォニー様式は、音楽史における過渡期の最良の典型となっている。 ==生涯== 幼年期については大雑把なことしか分からないが、1490年ぐらいに、リールからサントメール(''St. Omer'')にかけてのフランドル南部に生れたらしい。ジョスカン・デ・プレがコンデ・シュル・レスコーに隠退してからその指導を仰いだとされており、そうだとすればおそらく1515年から1521年までであったろう。 ゴンベールは1526年に、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の宮廷礼拝堂に歌手として(そしておそらくは作曲家としても)採用されている。1529年には、宮廷礼拝堂の少年合唱の指導者(''magister puerorum'')と呼ばれている。ゴンベールと宮廷歌手は、帝国各地の都市で出演の記録が残っていることから、カール5世の遠征に同行したことは確実である。1530年代のある時期に、ゴンベールは聖職者として数ヵ所(クルトレー、ランス、メス、ベテュヌなど)の聖堂から聖職禄にあずかるようになった。1534年かそれ以前から、トゥルネーの聖歌隊長に着任し、おそらく生涯のほとんどをその地で過ごしたようである。 同時代の内科医で数学者のジェロラモ・カルダーノの証言によると、ゴンベールは、預けられた少年を陵辱した罪に問われて、ガレー船での服役を宣告されたという。真相はどうあれ、1540年になるとゴンベールの名はあらゆる教会の記録から消えてしまう。1552年にゴンベールは《マニフィカト》を出版していることから、どうやら同年かそれ以前のある時期に、恩赦を受けたということらしい。たぶんトゥルネーに戻ったようだが、その地で何年間どのような余生を送ったかについてははっきりしない。カルダーノによると、ゴンベールの没年は1561年だという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニコラ・ゴンベール」の詳細全文を読む
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