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ニコラ・フーケ : ウィキペディア日本語版
ニコラ・フーケ

ベル島侯爵およびムラン子爵およびヴォー子爵ニコラ・フーケフケ)(Nicolas Fouquet発音例 1615年1月27日 - 1680年3月23日)は、フランスの法律家、財務官である。ルイ14世の下で大蔵卿を務めた。
== 生涯 ==

=== 急速な出世 ===
パリに生まれる。有力な貴族の家柄であり、イエズス会で予備教育を受けた後、13歳でパリ高等法院の弁護士として認められた。10代のうちから幾つかの責任ある地位を任され、20歳になった1636年には参事院請願委員の地位を獲得できた。1642年から1650年にかけて、まずは県の経理係に任じられ、やがてジュール・マザランの軍隊の経理係にも任じられた。これらの仕事を通じて法廷に関わりを持ち、1650年には、パリ高等法院の検事総長の地位獲得が認められた。マザランは亡命したが、その間もフーケは抜け目なくマザランに忠誠を誓い続け、彼の財産を守り、法廷の状況を知らせ続けた。
マザランが帰国すると、フーケは見返りとして大蔵卿の地位を要求し、獲得した(1653年)(政府が混乱する中、フーケはこの地位を手に入れたことで、政府の基金を扱う権限はもちろん、国王に対する債権者との交渉権も手に入れた)。この地位には資産家を任命することが多く、フーケも資産家貴族の娘マリー・ドカスティーユとの結婚(1651年)によって資産を大幅に増やしていた。
個人の資産力と常に自信あふれた態度により、フーケは政府からますます信用されるようになった。ただしフーケは依然として高等法院の検事総長だったので、その地位によって、資産調査からは免れていた。フーケが大蔵卿になったことで、マザランはフーケに嘆願する側の立場に変わった。長びく戦争のための費用や、マザランのような宮廷人からの様々な嘆願に対処するため、フーケは時として個人資産を流用する必要にも迫られた。しかしそのうち、フーケは財政を公私混同するようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコラ・フーケ」の詳細全文を読む



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