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ニコラ・レグロッターリエ(Nicola Legrottaglie, 1976年10月20日 - )は、イタリア・プッリャ州バーリ県ジョイア・デル・コッレ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。 == 略歴 == 2001年から2003年に、デルネーリ監督が率いる“ミラクル・キエーヴォ”の一員として活躍。 一時はネスタの次代を担うセンターバックとして注目を浴びた。 2003年 リッピ監督下のユヴェントスに移籍を果たした。 しかし、ここでの戦術に馴染めず調子を落とし、クラブも失点が増したことから批判に晒された。 2004年 続くカペッロ監督の下でも信頼を得ることができず、ボローニャにレンタル移籍となった。しかし9試合出場に留まり、クラブも降格という2重の失望を味わった。 2005年 シエナにレンタル移籍。 2006年 デシャン監督が就任したユヴェントスに復帰。クラブがカルチョポリの影響でセリエBに降格しカンナヴァーロやテュラムを放出した事による人材難に瀕したことから、再び構想に入る事になった。対戦相手のレベルが下がったという側面もあるが、一応の活躍を見せセリエA復帰に貢献した。 2007年 ラニエリ監督が就任したが残留。アンドラーデやクリシートを獲得し、試合出場機会が減るのではと予想されたが、アンドラーデが怪我で長期離脱し、クリシートも期待外れに終わったため、レギュラーとして定着するきっかけとなった。 2008年 キエッリーニの負傷やレギュラークラスの不調により、5年ぶりに代表に招集された。2007-08シーズンのユヴェントスは失点が少なくセリエA中2位タイであり、フル稼働したレグロッターリエの功績が認められた形となった。 2009年 FIFAコンフェデレーションズカップ2009のエントリーメンバーに選出された。背番号は6。自身初の国際トーナメント出場となった。しかしイタリア代表は不調であったため、グループステージ敗退となった。一方、ユヴェントスでは監督がフェラーラに交代。カンナヴァーロを再度獲得し、CBとして3番手という立場になってしまった。しかしカンナヴァーロは高齢で他選手よりもターンオーバーが必要であることから、キエッリーニ、カンナヴァーロと上手くポジションを分け合っている。ちなみに、この状況はこの時期のイタリア代表のCB陣と全く同じ構図であった。しかし33歳で迎えた2010年ワールドカップ南アフリカ大会の選手選考では、サルヴァトーレ・ボッケッティとレオナルド・ボヌッチという若手2人に弾き出される形で、23人の登録メンバーからは外れ、初のワールドカップ出場は叶わなかった。 2011年1月31日、出場機会を求めACミランに移籍。しかし、移籍早々に故障してしまい結局1試合の出場に留まった。8月30日にカルチョ・カターニアへ移籍。 2013-14シーズン限りで現役を引退し、FCバーリ1908のユースチームの監督に就任した〔Ex Juve, Legrottaglie: 'Sarò l'allenatore degli Allievi del Bari' Calciomercato.com 2014年8月6日付〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニコラ・レグロッターリエ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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