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ニック・ボックウィンクル(Nick Bockwinkel、本名:Nicholas Warren Francis Bockwinkel、1934年12月6日 - 2015年11月14日)は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミネソタ州セントポール出身。生年は、1936年や1938年とされる場合もある。 == 来歴 == 父のウォーレン・ボックウィンクルは1930年代から1950年代にかけて活躍した名ヒールであり、少年時代のニックは父の巡業に同行し、バディ・ロジャースなどの今では伝説となったレスラーたちの試合を間近で見る機会に恵まれた。この経験が後のレスラー人生で大きな財産となった。 15歳のとき、ルー・テーズ相手にデビュー。陸軍やオクラホマ大学に在籍しながらプロレスを続け、28歳でフルタイムのプロレスラーとなり、ハワイ、カリフォルニア州などのアメリカ各地を転戦。ローカル・タイトルを数多く獲得している。各地を転戦していく生活はニックの希望していたことであり、のちに「プロレスラーはスーツケースひとつで旅ができる仕事」と述懐している。 天才と言われるほどの実力派レスラーだったがタイトル挑戦に恵まれず、30代中頃からミネソタ州ミネアポリスの団体AWAに定着。ボビー・ヒーナンをマネージャーに付けレイ・スティーブンスとのタッグでAWA世界タッグ王座を獲得した後、1975年11月18日、ミネソタ州セントポールにおいてバーン・ガニアを下し、AWA世界ヘビー級王座を獲得。以後1987年5月2日にカート・ヘニングに敗れタイトル戦線から退くまでの13年間で同王座を合計4回獲得し延べ7年以上保持、北部の帝王として君臨した。1979年3月25日には、AWA世界王者として当時のWWF王者ボブ・バックランドとダブルタイトルマッチも行っている。 日本にも日本プロレス、国際プロレス、全日本プロレスへの参戦で度々登場。1984年2月23日には蔵前国技館でジャンボ鶴田に敗れ、AWA世界ヘビー級王座を明け渡した。全日本の年末恒例世界最強タッグ決定リーグ戦では1978年から1985年にかけてブラックジャック・ランザやジム・ブランゼルなどをパートナーに4回出場、1984年にはハーリー・レイスとの「夢の世界王者コンビ」も実現させた。 1987年8月の全日本プロレスへの参戦を最後にリングを降り、WWF(現・WWE)のロード・エージェントやWCWのコミッショナーなどを務めた。また、UWFインターナショナルのリングでビル・ロビンソンとエキシビション・マッチを行ったこともある。 近年はラスベガスに在住。2006年1月、ZERO1-MAXにおける大谷晋二郎対スティーブ・コリノのAWA世界ヘビー級選手権試合の立会人として久々の来日を果たした。このときはただ試合を見守るだけでなく、「興奮して」大谷にイス攻撃を見舞うという特別出演もしている。 2007年にはWWE殿堂に迎えられた(インダクターはボビー・ヒーナン)。 2015年11月14日、80歳で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニック・ボックウィンクル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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