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ニューアルムの戦い[にゅーあるむのたたかい]
ニューアルムの戦い()は、アメリカ合衆国の南北戦争中に起きたインディアンとの闘争であるダコタ戦争の戦闘である。1862年8月18日に蜂起したサンティ・スー族が南スー族管理局襲撃に続いて、ミネソタ州ブラウン郡ニューアルムの町を襲った。同時期に隣接するリッジリー砦も襲っていたが、比較的防御の弱いこの町が標的になった。ニューアルムには当時900人の開拓者がおり、スー族の居留地から近い最大の開拓地だった。町の地形がミネソタ川から2段階で200フィート (60 m) ほど立ち上がっており、森林があって攻撃部隊を隠すことができたので、攻撃者にとっては利点のあるものになっていた。 アメリカ側は兵士や民兵をやり繰りして、2度にわたったインディアンの攻撃から町を何とか守りはしたが、それ以上の防御は難しいと判断し、町から脱出した。 == 背景 == 1851年、ミネソタのサンティ・スー族インディアンは、その猟場2,400万エーカー (97,000 km2) をアメリカ合衆国政府に強制的に譲渡させられた。1852年にはミネソタ川沿いの居留地に囲い込まれた。1858年、さらに居留地の半分を騙し取られた。1862年8月、アメリカ合衆国政府が条約で約束していた年金140万米ドルを払えなかったとき、さらにインディアン代理人と政治家が条約で認めていた食料の大半を盗んだときに、インディアンが反乱を起こした。リトルクロウ酋長は、条約で自分たちに約束された食料と見られるものが見える所に積み上げられているにも拘わらず、自分たち部族が食べるものが無いと苦情を言ったとき、政府の役人は「やつらが飢えているんなら、草か自分の糞でも食わせておけばいいだろう。」と答えた。ミネソタ州の政治指導者達、中でも州知事のアレクサンダー・ラムジーは商業的利権との結びつきがあり、ミネソタから全てのインディアンの排除を提唱した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニューアルムの戦い」の詳細全文を読む
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