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ニュートン・リロイ・ギングリッチ : ウィキペディア日本語版
ニュート・ギングリッチ

ニュートン・リロイ・”ニュート”・ギングリッチ(、1943年6月17日 - )は、アメリカ合衆国保守派政治家共和党に所属。1995年から1999年まで同国の下院議長を務めた。1995年民主党の下院多数派独占を42年目にして終止符を打ったことでTIME誌マン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
== 来歴 ==
1943年、ニュートン・リロイ・マクファーソン()としてペンシルベニア州ハリスバーグに生まれる。母親キット(キャスリーン)は16歳で結婚し17歳で彼を産み、その後離婚、19歳で再婚しギングリッチ姓となった。マクファーソンは実父の姓。
1965年に名門エモリー大学学士号、1971年にテュレーン大学近代ヨーロッパ史博士号を取得。1970年から78年までウェストジョージア大学助教授を務めた。
1974年1976年ジョージア州下院議員選挙に出馬するが落選、その後1978年に35歳で下院議員に初当選を果たし、1979年から20年間連邦下院議員を務めた。ギングリッチは民主党が多数を占める下院議会を批判し、その姿がC-SPANで中継されて知名度が上がった。
1989年に下院の少数党院内幹事〔「Minority Whip」〕に就任。全米を回って草の根組織を作り、ロナルド・レーガン政権の終了と冷戦終了で目標を見失って漂流していた共和党の再建に取り組んだ。1994年の中間選挙において、均衡財政減税福祉の削減・大統領による項目別拒否権などについての共和党の公約「」の作成で中心的役割を果たした。この契約は、それまで選挙区ごとの課題が主な争点だった中間選挙において、国レベルの課題を提示するものであった。契約には367名の下院議員候補者が署名し、同選挙では共和党が大勝、上院と下院で多数党となり、ギングリッチは混迷から再生した保守政界のキーパーソンとして浮上した。
1995年には下院議長に就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニュート・ギングリッチ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Newt Gingrich 」があります。



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