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ニュー・バウハウス(''New Bauhaus'' )とは、ドイツのデザイン教育機関バウハウスを辞したモホリ=ナジ・ラースローが、アメリカの「シカゴ芸術産業協会」(''Association of Arts and Industries'' )からの招聘に応じて1937年渡米し〔『アサヒカメラ1967年8月号』p.208。〕、シカゴに開設した学校「The New Bauhaus Chicago」のこと。 協会の財政援助を打ち切られ資金難で1938年に閉鎖されるも、翌1939年に「School of Design Chicago (Chicago School of Design)」の名で再開した。1944年には拡大し「The Institute of Design (Chicago Institute of Design)」と名前を変えた〔『アサヒカメラ1967年8月号』p.208。〕。この後者の2つを「ニュー・バウハウス」と呼ぶことが多い。 なお、The Institute of Designは、1949年に「イリノイ工科大学」(''Illinois Institute of Technology'' )に吸収され、その1学部として現在まで存続する。 アメリカの「ニュー・バウハウス」は、バウハウスの教育理念を継承し、デザインや写真の基礎教育を行った。特に写真の分野においては目覚ましく、初期はモホリ=ナジおよびバウハウスの前衛写真の傾向を引き継ぎ、さまざまな傾向へと変化し現在にいたる。 ニュー・バウハウスにかかわった主要な写真家としては、教鞭をとるモホリ=ナジの他、ジョージ・ケペッシュ、アーサー・シーゲル(''Arthur Siegel'' 、1913年-1978年)、ネイサン・ラーナー(''Nathan Lerner'' 、1915年-1997年)、ハリー・キャラハン、アーロン・シスキンドがいる。日本人として戦後にここで学んだ者に石元泰博がいる〔『アサヒカメラ1967年8月号』p.208。〕。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニュー・バウハウス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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