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ネナド・ブルノヴィッチ : ウィキペディア日本語版
ネナド・ブルノヴィッチ

ネナド・ブルノヴィッチ(Ненад Брновић/Nenad Brnović、1980年1月18日 - )は、ユーゴスラビア(現モンテネグロ)出身のサッカー選手。FKブドゥチノスト・ポドゴリツァ所属。ポジションはミッドフィールダー(CM、OH)。
ユーゴスラビア代表フォワードボヤン・ブルノヴィッチは兄、元モンテネグロ代表ディフェンダーヴラド・イェキッチは義理の兄弟。兄ボヤンとは2000年から2003年までゼタで、2004-05シーズンをパルチザンで共にプレーしていた。
== 来歴 ==

=== クラブ ===
彼はキャリアの大半をFKゼタ・ゴルボヴツィと、その後2004年に移籍したパルチザン・ベオグラードで過ごしている。ゼタの公式サイトでは近年顕著な活躍をした功労者の一番手として、兄ボヤンとともに紹介されている〔Istoria FK Zeta 2010年7月26日閲覧〕。
パルチザン移籍後の2006年3月21日、古巣ゼタ戦に先発出場したブルノヴィッチは、開始8分にヨヴァン・マルコスキのタックルを受け負傷し、そのままベオグラードの救急病院に搬送された〔Markoski breaks Brnovic's leg FK Partizan 2006年3月21日〕。怪我は脛骨腓骨の開放性骨折という重傷で、回復には2年半という長い時間を要した。最初の手術はベオグラードの軍病院にて行われ〔Nenad Brnović: A sada rad, samo rad i Rad S media 2009年1月16日〕、6-8か月後にはピッチに戻る予測だった。しかし回復は遅れ、2007年1月に再度の整形外科手術に至った〔Brnović opet operisan. partizan.net 2007年1月18日〕。この怪我は26歳にして「唯一の願いは再び歩けるようになること」というほど深刻なものであった〔。
パルチザンとの契約は彼のリハビリ中に切れていたため、2008年9月4日に新たに2009年夏までの契約を結んだ〔Nenad Brnović - ugovor zamenio štake MTS Mondo 2007年9月4日〕。3日後の9月7日、故障後初のプレーとなるPAOKテッサロニキとの親善試合に15分間出場して復帰を果たした。FKスラビアとの親善試合に出場した後の2008年12月、パルチザンはプレーする上での準備は整ったと判断し、6か月間のレンタル移籍で放出されることになった〔Nenad Brnović - novi početak MTS Mondo 2008年12月24日〕。2009年1月、FKラド・ベオグラードへのレンタル移籍が発表された〔Kaluderović i Brnović za ozbiljan Rad FK Rad 2009年1月10日〕。
レンタル期間終了後の2009年夏、パルチザンは契約を延長せず母国モンテネグロのFKブドゥチノスト・ポドゴリツァに移籍した。11月4日、モンテネグロカップ2回戦FKロヴェチェン戦の前半40分に得点をあげ、故障からの復帰後初ゴールとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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