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ネパール共産党マルクス・レーニン主義派(ネパールきょうさんとうマルクス・レーニンしゅぎは)は、ネパールの政党。 ==第1期== 1978年、全ネパール共産主義者革命的調整委員会(マルクス・レーニン主義)によって設立された。このグループは1971年5月、C.P.マイナリらが起こしたジャパ郡の武装蜂起の生き残りが中心であった。設立総会は1978年12月26日から翌年1月1日にかけて開催された。 略称はCPN(ML)。初代の総書記にはC.P.マイナリが就任した。CPN(ML)はインド共産党マルクス・レーニン派(CPI(ML))から影響を受けた。ネパールと国境を接するビハール州で有力だったCPI(ML)のヴィノド・ミシュラ派と連携を取り、体制に対して武装闘争を行った。CPN(ML)は急速にネパールにおける主要な共産主義勢力として浮上した。 出版物としては「階級闘争」と「解放戦線」を出した。1982年、大きな変化が起きた。武装闘争をやめ、大衆民主主義的闘争を採用したのだ。マイナリは総書記の地位を追われ、ジャラ・ナート・カナールが取って代わった。1986年、穏健派のマダン・クマール・バンダリが総書記に選出され、「複数政党制共産主義」が党の方針となった。 1990年、統一左翼戦線に参加し、民主化運動(ジャナ・アンドラン)で主導的役割を果たす。そしてこのことが、1991年にネパール共産党マルクス主義派と合同しネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(統一共産党)の結成につながる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ネパール共産党マルクス・レーニン主義派」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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