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ノガイ族はカフカスに居住するテュルク系民族。1989年時点での人口は約73,700〔野坂「ノガイ」『世界民族事典』収録〕から75,000〔北川「ノガイ[人]」『新版 ロシアを知る事典』収録〕〔アルメスト『タイムズヨーロッパ民族事典』、524-525頁〕。人口のうち約半分はダゲスタン共和国北部のテレク川・クマ川間の地域に居住している〔。テュルク諸語〔のノガイ語を話す。 かつてキプチャク・ハン国を構成した遊牧民族の末裔であるとされる。言語系統はテュルク系に分類され、に次ぐ規模のグループを構成している。現在、そのほとんどは牧畜や農耕を主とした生活を営んでいる。 ==歴史== 14世紀後半にキプチャク・ハン国の有力者であるエディゲによって独立国家ノガイ・オルダが建国された。ノガイ族はこの国家を構成する主要民族で、ヤイク川(現ウラル川)下流の主都を拠点にアラル海、カスピ海において商業活動を活発におこなっていた。 16世紀にはモスクワとカザンに毎年大量に馬や羊を輸出していたという。16世紀後半、カザン・ハン国、アストラハン・ハン国が滅亡すると、(、Great Tartary)、(、、Little Tartary)、アルティウル()の3つのオルダに分裂した。その後、1634年のカルムイク族侵攻に伴いヴォルガ川南方へと移住している。18世紀末から19世紀にかけてロシア帝国の支配下に置かれ、一部はクリミア・ハン国の併合(1783年)、コーカサス戦争(1817年 - 1864年)末期の後に行なわれたムスリム住民のでトルコやルーマニアへと移住させられた〔http://www.yale.edu/agrarianstudies/papers/11noxchi.pdf Yale University paper〕〔野坂「ノガイ」『世界民族事典』収録〕。19世紀に、アストラハン、クリミアのノガイはヴォルガ・タタール人に同化した〔アルメスト『タイムズヨーロッパ民族事典』、525頁〕。1917年のロシア革命までは遊牧民的な生活を送っていたが、以降はほとんどが定住している〔。 北カフカースに居住するノガイは、カラ・ノガイ(ダゲスタン共和国)、アチクラク・ノガイ(スタヴロポリ地方、チェチェン共和国)、クバン(アク)・ノガイ(カラチャイ・チェルケス共和国)の3グループに分かれ、それぞれで差異の大きい方言が話されている〔。グループは内部でさらにいくつかの部族に分かれ、いずれも結束が強い〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノガイ族」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nogais 」があります。 スポンサード リンク
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