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ノモンハン・ブルド・オボー : ウィキペディア日本語版 | ノムンハーネイ・ブルド・オボー ノムンハーネイ・ブルド・オボーは、清朝の雍正年間、フルンボイル草原とハルハ東部の境界標識として設置されたオボーのひとつ。 ノムンハーネイ・ブルド・オボーとは、「ノムンハンの水の塚」の意で、本オボーはハルハ川へ向かって西南流するハイラースティーン川(楡の河、日本側の記録では「ホルステン河」)の源となっている。ノモンハン・ブルド・オボーとも表記される。 == 沿革 ==
清国とロシアはキャフタ条約を締結してロシアとモンゴルとの境界を定めた際、この地のエヴェンキ、ダウール、バルガなどの人々がフルンボイル草原に牧地を与えられ、新たに旗に組織された。まず1731年、フルンボイル草原の西部から北部にあかけて遊牧するが、ついて1734年にフルンボイル草原の南部に遊牧するが成立した。ハルハ東部は従来より、ダヤン・ハーンの第七子ゲレンセジェの系統を引くチェチェン・ハン部の左翼前旗および中右翼旗などの牧地となっていたが、新バルガ旗の設立を機に、理藩院尚書ジャグドンによりハルハ東部と隣接する新バルガの牧地の境界が定められ、その境界線上にオボーが設置された。本オボーは、この時に設置されたオボーのひとつである。
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