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トール・ヘイエルダール(Thor Heyerdahl ノルウェー語発音 , 1914年10月6日 - 2002年4月18日)は、ノルウェーの人類学者、海洋生物学者、探検家。筏(いかだ)船のコンティキ号でペルーのカヤオ港から南太平洋のツアモツ島まで4,300マイル(8千km弱)の航海を行ったことで有名。 == 漂流実験 == 当時はポリネシアの島々の住人(ポリネシア人)の起源は謎とされており、ヘイエルダール自身も調査を行った。その結果、南米ペルーにある石の像とポリネシアにある石の像が類似していること、植物の呼び方が似ていることなどを踏まえ、ポリネシアの住人の起源は南米にあると論文で発表。しかしこの説は学会からの反対にあう。当時の技術では船で行き来することなど不可能であるというのがその理由だった。 1947年、ヘイエルダールとそのチームは、南米のバルサ材およびその他の地元の材料を用い、インカ時代の船を模したコンティキ号を建造。ペルーからイースター島への航海に挑戦した。巨石文化がインカ帝国から海を渡ってイースター島に伝えられ、同島に残るモアイ像が作られたことを実証しようとしたのである。コンティキはインカ帝国の太陽神ビラコチャの別名。いかだは、インカ帝国を征服した当時のスペイン人たちが描いた図面を元に設計された。 コンティキ号は1947年4月28日に5人の仲間と1羽のオウムと共に出航し、曳航船によってフンボルト海流を越えた後は漂流しながらイースター島を目指した。出港から102日後の1947年8月7日にツアモツ諸島のラロイア環礁で座礁。彼らの航海を描いた長編ドキュメンタリー映画『Kon-Tiki』は、1951年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞している。 「漂流」には、現代(1940年代)の航法機器やボートなども使用していた。 またアマチュア無線により、ノルウェーを含む世界各国との交信を行っていた(コンティキ号#概要)。 食料に関しては、実験を名目にアメリカ軍から提供された保存食の他は、海中から得た。ヘイエルダールは、「インディオの航海技術を立証するのが目的で、我々がインディオになる必要は無い」と述べていて、最初は保存食を用意して航海に望むつもりだったようである。「筏のロープが波で擦り切れる」とか「バルサが水を吸って沈没するはず」など、航海前に出された否定的な意見を見事に覆したことで評判を呼んだ。ただし、建造を急ぐため乾燥していないバルサを使ったのが偶然に吉と出て、乾燥したバルサを使っていれば、海水の吸収が早くて沈没していた可能性があるとヘイエルダールは認めている。 また、1969年、「アステカ文明はエジプト文明と類似しており、エジプトからの移民が作った文明ではないか」と考え、古代エジプトの葦製の船に大西洋を渡る能力があることを証明するため、パピルスと呼ばれる葦で作った船「ラー号」で、モロッコからカリブ海を目指した。ラー号は5000kmを航海したところで破損したが、一年後の再挑戦では、見事にカリブ海のバルバドス島まで到達した。 1977年には、葦船「チグリス号」でインド洋を航海して成功している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トール・ヘイエルダール」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Thor Heyerdahl 」があります。 スポンサード リンク
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