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マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、ドイツの哲学者。ハイデガーとも表記される。はじめカトリック神学を研究し、フランツ・ブレンターノや現象学のフッサールの他、ライプニッツ、カント、ヘーゲルなどのドイツ観念論やキェルケゴールやニーチェらの実存主義に強い影響を受け、アリストテレスやヘラクレイトスなどの古代ギリシア哲学の解釈などを通じて独自の存在論哲学を展開した。1927年の主著『存在と時間』で存在論的解釈学により伝統的な形而上学の解体を試み、「存在の問い(die Seinsfrage)」を新しく打ち立てる事にその努力が向けられた。他、ヘルダーリンやトラークルの詩についての研究でも知られる。20世紀大陸哲学の潮流における最も重要な哲学者の一人とされる。その多岐に渡る成果は、ヨーロッパだけでなく、日本やラテンアメリカなど広範囲にわたって影響力を及ぼした。また1930年代にナチスへ加担したこともたびたび論争を起こしている〔。 ==生涯== === 出自 === ハイデッガーの生まれたメスキルヒは帝政ドイツ南西部のバーデン大公国ウュルテンベルク州の小村であった。「メス」はミサを意味し、または中世荘園領主メッソに帰する異説もあり、「キルヒ」は教会を意味する。メスキルヒはアレマン語とシュヴァーベン語の境界にあり、ハイデッガーは後年、アレマン人のヨハン・ペーター・ヘーベルとシュヴァーベン人のフリードリヒ・ヘルダーリンを好み、ハイデッガーも自分自身を「空の広大さに身を開き、同時に大地の神秘に根を下ろしている」と書いている〔ザフランスキー1996,p12-16.〕。 1889年9月26日にマルティン・ハイデッガーはメスキルヒにてフリードリヒ・ハイデッガーとヨハンナの第一子として生まれた〔茅野良男1984,p237-319〕。 父のフリードリヒはカトリック教会の聖マルティン教会の堂守(寺男)で、教会の家屋管理人であった。聖マルティン教会は守護聖人聖マルティヌスに奉献されており、マルティン・ハイデッガーのファーストネーム「マルティン」はこの教会に因み、祖父も同じ名前であった。父は個人営業の樽桶職人であり、大小の桶や肥桶、酒樽を毎日制作し、合間に教会の堂守を務めた。父フリードリヒは無口であったが、講演会などにはよく参加し、シラーの「鐘の歌(Das Lied von der Glocke)」を暗誦していた。シラー「鐘の歌」は鐘造りの親方による職人たちへの指示と人生論について描いた詩で、「地上においては幸福は長続きはしない〔144-146行〕」、火は人間の手中にある時には創造の重要な手助けとなるがその本性は破壊である〔154-168行〕といった詩句があり、火事や暴動という危険に立ち向かう市民的道徳が描かれた〔鐘の歌(ドイツ語・英語) Translated by Walter H. Schneider。日本語の研究文献は海老沢君夫「シラーの鐘の歌(Das Lied von der Glocke)に寄せて 」Artes liberales, 第19号, (1976), pp. 81 - 102,岩手大学人文社会科学部.〕。 母のヨハンナ・ケムプフ・ハイデッガーは陽気で率直な性格で、「人生はこんなにすばらしく整えられているのだから、いつも何かを楽しみにしていていいのよ」というのが口癖だった。マルティンの弟フリッツは、この母親の口癖の背後には「恩寵のあるところ、生のなべてのいとわしき事どもは、いつもたやすく耐えらるるべし」という宗教的な経験があったと言っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルティン・ハイデッガー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Martin Heidegger 」があります。 スポンサード リンク
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