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ハイドリヒ暗殺 : ウィキペディア日本語版
エンスラポイド作戦[えんすらぽいどさくせん]
エンスラポイド作戦(エンスラポイドさくせん、Operation Anthropoid)は、第二次世界大戦中、大英帝国政府とチェコスロバキア駐英亡命政府により計画された、ナチス・ドイツベーメン・メーレン保護領(チェコ)の統治者ラインハルト・ハイドリヒ暗殺作戦のコードネームである。日本語では、「類人猿作戦」などとも訳される。ハイドリヒは、ナチスの秘密警察を束ねる国家保安本部の長官であり、ユダヤ人や他の人種の虐殺に対する「ユダヤ人問題の最終的解決」(ナチスはユダヤ人や少数民族の絶滅政策のことを婉曲的に「最終的解決」と称していた)を行うナチスの主要計画遂行者であった。
== 背景 ==

=== ハイドリヒ副総督就任までの経緯 ===
1939年3月14日から3月15日にかけて、ドイツ国総統アドルフ・ヒトラーは、チェコスロヴァキアエミール・ハーハ大統領をドイツの首都ベルリンへ召還し、ハーハ大統領に対してまずスロヴァキアを独立させ(独立スロヴァキア)、さらにチェコの部分をドイツ国に編入することを強要した。抗う力を持たないハーハ大統領は併合を認める署名をした。3月16日にこのチェコのドイツ編入領土は「ベーメン・メーレン保護領」と名づけられることとなった。4月5日にはコンスタンティン・フォン・ノイラート男爵がベーメン・メーレン保護領総督として同地に派遣された。また同日、ベーメン・メーレン保護領の警察業務を司る親衛隊及び警察指導者としてカール・ヘルマン・フランクも派遣された〔阿部良男著『ヒトラー全記録』(柏書房)406-407ページ〕。以降、しばらくの間、この二人によってベーメン・メーレン保護領は統治された。
第二次世界大戦中、ベーメンはルール地方と並ぶナチス・ドイツ最大の軍需工業地だった。アルベルト・シュペーアによればドイツ軍の戦車の3分の1、軽機関銃の40%はベーメンで生産していたという〔大野英二著『ナチ親衛隊知識人の肖像』(未來社)68 - 69ページ〕。ところが、総督ノイラート男爵は、融和的すぎてストライキや抵抗運動が多発し、同地の兵器生産力が20%近く落ちていた〔大野英二著『ナチ親衛隊知識人の肖像』(未來社)70 - 71ページ〕。
業を煮やしたアドルフ・ヒトラーは、1941年9月19日から24日にかけてノイラートとフランクを自身の本営「狼の巣」へ呼び出し、チェコ人に寛容すぎる政策を叱責のうえ、ノイラートに長期休暇を命じた。代わりの統治者としてラインハルト・ハイドリヒを副総督に任命することを告げた〔阿部良男著『ヒトラー全記録』(柏書房)512-513ページ〕。ノイラートは、この際にヒトラーに総督職の辞任を申し出たが、却下され、ノイラートは形式的に総督に残留しながら休職処分という形になった〔ジャック・ドラリュ著『ゲシュタポ・狂気の歴史』(講談社学術文庫)384 - 385ページ 〕。1941年9月27日、正式にハイドリヒをベーメン・メーレン保護領副総督に任命するヒトラーの辞令が下り、ハイドリヒは翌28日にプラハに着任した〔阿部良男著『ヒトラー全記録』(柏書房)512-513ページ〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エンスラポイド作戦」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Operation Anthropoid 」があります。



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