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ハイリゲンクロイツ修道院 : ウィキペディア日本語版 | ハイリゲンクロイツ修道院[はいりげんくろいつしゅうどういん]
ハイリゲンクロイツ修道院(Stift Heiligenkreuz)は、オーストリアのウィーン近郊、ハイリゲンクロイツに現存するシトー会修道院である。建築は基本的にロマネスクとゴシックの様式を見せる。中断なく継続されているシトー会修道院としては最古の修道院である〔〔現存最古はフォントネー修道院であるが、1790年2月にフランス全土の修道会は強制的に解散させられることとなったため。〕。「ハイリゲンクロイツ」とは聖十字架を意味する。 == 歴史 == 1133年〔前掲公式サイトによる。〕、レオポルト3世は、当時モリモン修道院に所属していた息子オットーのために本項の修道院を設立した〔1136年ごろにはオットーはモリモン修道院の院長に就いている。その後はオーストリアに戻ってフライジング司教になった。〕。1188年にレオポルト5世が聖十字架をもたらすと、この一帯を含め聖十字架を意味する「ハイリゲンクロイツ」と呼ばれるようになった。バーベンベルク家のバックアップもあり、多くの子院を設立した〔。ハイリゲンクロイツ修道院の内部においても自給自足のための養魚池のみならず、13世紀には製鉄業も営んだ。 18世紀末の1780年から1790年、啓蒙主義に影響を受けたヨーゼフ2世により修道院解体の危機に陥ったが、これを乗り越え1802年には哲学と神学の大学を設立した。第二次世界大戦の余波も受けた。ナチス・ドイツにより修道院の財物は没収され、修道士も抑留された。戦後、開放されてからは修道院の改革が行われ、折からの第2バチカン公会議の趣旨が反映された。1988年にはルール地方のボーフムに新たな子院も設立している。〔 21世紀、ハイリゲンクロイツ修道院は「ヨーロッパのシトー会修道院では最大規模」としており、観光客も受け入れる、開かれた修道院として現役である。〔
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