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ハインリヒ・ユリウス・プリンツ・フォン・ハノーファー(Heinrich Julius Prinz von Hannover, 1961年4月29日 ハノーファー - )は、ドイツのハノーファー王国およびブラウンシュヴァイク公国の王族の子孫。全名はハインリヒ・ユリウス・クリスティアン・オットー・フリードリヒ・フランツ・アントン・ギュンター(''Heinrich Julius Christian Otto Friedrich Franz Anton Günter Prinz von Hannover'')。 ブラウンシュヴァイク公世子・ハノーファー王家家長エルンスト・アウグスト(4世)と、その最初の妻でシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公子アルブレヒトの娘であるオルトルート(1925年 - 1980年)の間の第6子、三男として生まれた。歴史家・著作家として活動している。2005年、テレビ出演した際に長兄のハノーファー王家家長エルンスト・アウグスト(5世)の放埒な生活ぶりを激しく批判し、兄弟の不和が新聞各紙に大きく報じられた。 イギリス王ジョージ3世の男系直系子孫であり〔Montgomery-Massingberd, Hugh (editor). ''Burke's Guide to the Royal Family'', Burke's Peerage, London, 1973, pp. 289-290, 300. ISBN 0220662223〕、伝統的にグレートブリテンおよびアイルランド王子を名乗るが、イギリス王室は1917年以降、ハノーファー家の成員をこの称号を名乗る有資格者から除外している。また伝統的に一族の成員に認められていたハノーファー王子(''Prinz von Hannover'')およびブラウンシュヴァイク=リューネブルク公(''Herzog zu Braunschweig-Lüneburg'')の称号を名乗るが、こちらも1918年のドイツ革命以降は法的に無意味なものとなっている。 == 子女 == 1999年6月19日にタイストゥンゲン(ドイツ領テューリンゲン州アイクスフェルト郡)において、森林学者のテューラ・フォン・ヴェスターンハーゲン(''Thyra von Westernhagen'', 1973年 - )と結婚し、間に2男1女の3人の子女をもうけた。 *アルベルト・ティーロ・ルートヴィヒ・アルント(1999年 - ) *オイゲーニア・フリーデリケ(2001年 - ) *ユリウス・エドゥアルト・エマヌエル(2006年 - ) また独身時代に女優のデジレ・ニック(''Désirée Nick'', 1960年 - )と交際し、1996年に非嫡出の息子を1人もうけた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハインリヒ・ユリウス・フォン・ハノーファー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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