翻訳と辞書 |
ハクホオショウ
ハクホオショウは日本の競走馬。おもな勝ち鞍は安田記念など中央競馬の重賞4勝。「花の47年組」と称された1972年クラシック世代の一頭。 == 経歴 == 父は7度のリーディングサイアーを獲得したヒンドスタン、祖母の兄弟に当時の世界賞金王タルヤー (Tulyar) 、凱旋門賞優勝馬セントクレスピン (St. Crespin) がいる良血であった。 尾形藤吉厩舎に入厩したが、4歳春に発生した馬インフルエンザ流行の混乱の為か出世が遅れ、皐月賞には出走できず。NHK杯2着を経て出走した東京優駿(日本ダービー)〔馬インフルエンザの影響で開催が遅れ、この年は7月に行われた。〕では関東勢最先着の4着と気を吐く。秋はクラシック最後の一冠・菊花賞を回避し、東京競馬場でカブトヤマ記念を制する。続くクモハタ記念はクビ差抜け出したはずが、決勝写真の不備からタケデンバードの2着とされた(タケデンバード事件)。 古馬となった1973年は年初から不振だったが、春の安田記念を57キロの斤量を背負い快勝。夏は北海道に遠征し、ダートの札幌記念を59キロの負担重量ながら快勝。毎週雨が降り続き、「泥田」とも表現された不良馬場で施行された函館記念では61キロを背負い、55キロのエリモカップと向う正面からびっしりと先行争いを繰りひろげ、同馬から1馬身1/4差の2着。再び61キロを背負った東京のオールカマーでブルスイショー以下を退けた。迎えた秋の天皇賞では、タニノチカラを抑え一番人気に推されたが、スタート直後に骨折。競走馬を引退した。 天皇賞出走前から長距離の適性について、様々な意見が競馬サークルで沸騰していた。450キロ前後の馬格であったが、負担重量の重いハンデキャップ戦を得意とし、名種牡馬ヒンドスタンの「最後の傑作」とも呼ばれ非常にファンの多い馬であった〔全23戦中13戦、1973年に限れば10戦中8戦で一番人気に支持されている。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハクホオショウ」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|