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橋本龍太郎[はしもと りゅうたろう]
橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう、1937年(昭和12年)7月29日 - 2006年(平成18年)7月1日)は、日本の政治家、登山家。位階は正二位。勲等は大勲位。学位は政治学士(慶應義塾大学)。岡山県総社市名誉市民。剣道錬士六段。 衆議院議員(14期)、厚生大臣(第57代)、運輸大臣(第58代)、大蔵大臣(第93・94・103代)、通商産業大臣(第59代)、副総理、内閣総理大臣(第82・83代)、沖縄開発庁長官(第42代)、沖縄及び北方対策担当大臣、規制改革担当大臣、自由民主党幹事長、自由民主党政務調査会長、自由民主党総裁(第17代)などを歴任した。 == 来歴・人物 == 初当選以来自由民主党に所属し、衆議院議員を14期にわたって務める。また第1次大平内閣で厚生大臣に就任し、昭和2ケタ生まれで初めて入閣を果たしたのを皮切りに運輸大臣、大蔵大臣等を歴任し、所謂ニューリーダーの後をになう総裁候補に目されるようになった。1994年に発足した、自社さ連立政権の村山内閣では通商産業大臣を務め、自由民主党総裁就任に伴って副総理を兼務、1996年の村山富市首相退陣に伴い、内閣総理大臣に就任する。在任中は住専問題や行財政改革に取り組み、外交面ではビル・クリントンアメリカ合衆国大統領やボリス・エリツィンロシア連邦大統領と親交を深める。第18回参議院議員通常選挙での自民党惨敗を受け引責辞任した後も、同期当選の小渕恵三首相の下で外交特別顧問に就任し、その後も森内閣で沖縄開発庁長官や規制改革担当大臣、沖縄及び北方対策担当大臣を歴任。2001年自由民主党総裁選挙に再起を期して出馬するが、小泉純一郎に敗れる。2005年に政界を引退し、翌2006年に死去。 竹下派七奉行の1人であり1990年代の日本の政界を代表する政治家である。ポマード頭と呼ばれた独特の髪型がトレードマーク。剣道教士六段の称号・段位を持つ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋本龍太郎」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ryutaro Hashimoto 」があります。
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