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忠犬ハチ公(ちゅうけんハチこう)は、死去した飼い主の帰りを東京・渋谷駅の前で約9年間のあいだ待ち続けたという犬である。犬種は秋田犬(あきたいぬ)で、名前はハチ。ハチ公の愛称でも呼ばれている。 渋谷駅前にはハチの銅像が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなっている。 == 概要 == ハチは、飼い主が死亡した後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」として知られる。東京・渋谷をはじめ、ゆかりの地には像が置かれており、渋谷駅前のハチ公銅像はいつしか待ち合わせの目印として使われるようになり、その銅像周囲は待ち合わせ場所として「ハチ公前」などとして親しまれている。 ハチの飼い主は東京府豊多摩郡渋谷町(現:東京都渋谷区)に住んでいた大学教授・上野英三郎であった。彼は大変な愛犬家であり、出かけるときには渋谷駅までハチを伴うことも多かった〔東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』 名著出版 昭和53年9月30日発行 p260-2〕。しかしながらハチを飼い始めた翌年にあたる1925年(大正14年)に上野は急死した。 上野英三郎の死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、新聞記事に掲載され、人々に感銘を与えたことから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。 さらに、1934年(昭和9年)には渋谷駅前にハチの銅像が設置されることとなり、その除幕式にはハチ自身も参列した。同じく1934年(昭和9年)に尋常小学校2年生の修身の教科書にも、「恩ヲ忘レルナ」というハチの物語が採用された〔文部省『尋常小学修身書:児童用 巻2』(1934)〕〔アーロン・スキャブランド『犬の帝国』(岩波書店)によれば、「一九三〇年代の文脈でみれば、ハチ公の話は複雑に絡み合った不穏とさえ言える意味合いを帯びてくるのである。ハチ公が有名になったのはほかでもない、この犬が愛好家から政府官僚にいたるまで国家の理想を体現するもの、すなわち日本的体質、純血、ひとりの主人への献身、恐れを知らぬ闘士と見なされたからである」といって「日本が経験したファシズムの文化のなかでハチ公が果たした重要な役割」を持っているという。〕。 ハチの銅像は第二次大戦中の資材供出によって破壊されたが、戦後再建され、現在に至るまで渋谷のシンボルとして、また渋谷駅前における待ち合わせの目印となって立像している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「忠犬ハチ公」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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