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ハッサク
ハッサク(八朔、学名:''Citrus hassaku'')は日本原産のミカン科で柑橘類のひとつ。果実は食べられる。果皮だけでなく、袋(じょうのう膜)も厚いため、通常は袋も剥いて食す。独特の苦みと酸味があるものの、鮮度の良い物は水分も多い。原産地は広島県だが、和歌山県における生産高が7割前後と、圧倒的に高い。日本国内でのハッサク栽培は、江戸時代末期に尾道市因島田熊町(旧因島市)の浄土寺で原木が発見されたのを機に始まったとされる〔因島柑橘史 〕。現在因島では約二千戸の農家がハッサクを育てている。 ==歴史==
万延年間(1860年)村上水軍の城跡、青影山の南麓(現在の広島県尾道市因島田熊町)に、浄土寺の第15世住職、小江恵徳上人(えとくじょうにん)(写真1)の生家があり、その近くに生えた雑柑が「ハッサク」の原木であった。因島には古くから多くの種類の雑柑があったが、その理由として、気候が温暖であるなど柑橘が育ちやすい自然条件が整っているほかに、東南アジアまで勢力を広げ活躍した村上水軍が、遠征先から苗木や果実を持ち帰ったことも考えられる。柑橘を食べると種と皮が残り、種からはいろいろな種類の柑橘が実生(みしょう。接ぎ木・挿し木と違って、種から芽が出て生長すること)として発生する。やがて花をつけ、交配を繰り返しながら、雑柑といわれるたくさんの種類の柑橘が生まれたと考えられる。ハッサクの他にも因島原産の柑橘に安政柑がある。 「ハッサク」という名前がついたのは1886年(明治19年)で、八朔の頃から食べられたからと伝えられている(後述)。1910年(明治43年)、柑橘学の世界的権威W.T.スウィングル博士が、「かいよう病(柑橘の病気)が日本に原生していたものかどうか」を調査するため、田中長三郎博士の案内で因島を訪れた。当時因島に現存した約60種類の雑柑の中にかいよう病を持つ柑橘がなかったことで、かいよう病が日本に原生していたものではないことが証明された。また両博士が、雑柑の中に含まれていた「ハッサク」の優秀性を認識したため、一躍「ハッサク」栽培の機運が高まっていく。 1925年(大正14年)秋、田熊に出荷組合が設立され、村農会技師田中清兵衛の指導のもと、組合長岡野佐太郎、副組合長村上寿一を先達に、「ハッサク」の販路拡大が図られていった。現在の浄土寺にはハッサクの原木の切り株が保存され、境内にはハッサク顕彰碑「八朔発祥の地」(写真2)が建てられている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハッサク」の詳細全文を読む
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